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第1回 心理学の闇🤷 【自己実現論のギモン】   ー自己実現は「自己非実現」?!

みなさん、「自己実現論」というものをご存じだろうか。マズロー(Abraham Harold Maslow) の「五段階欲求階層説」などは有名なので、一度は聞いたことがあるのではないだろうか。📕

相当古い伝統理論ではあるが、2022年の現在でも、自己啓発系コンサルや成功者たる社長などから、これみよがしによく聞かされる言説である。🏛

提唱当時はカネ持ち達によってキカイ化された労働者を解放するという意義があった (機械人たちの人間性回帰が主題であった。)。

ところがどっこい、この「自己実現論」にはふか~い闇がある。それゆえ、過度な触れ込みやご高説を拝聴する度に、「うわッ」「あーぁ」と思ってしまう。😷

ここでは、その闇についてポイントしておこう。

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その闇をポイントする前に、マズローの「五段階欲求階層説」について軽く概観しておこう。

(関連する他の諸説については、マグレガー、ゴールドシュタイン、マレー、ロジャース、ドラッカー、ユングなどの論者を参照されたい。否、別に参照しなくてもいい。)

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(1) 人間には、低次から高次の欲求があり、その欲求は低次から順番にあらわれる。 (つまり、低次欲求が満たされないと次の高次欲求は現れない。)

(2) その出現の順番は、①生理的欲求 ⇒ ②安全性欲求 ⇒ ③社会性欲求(参加欲求) ⇒ ④承認欲求 ⇒ ⑤自己実現の欲求 である。 (つまり、「生理的欲求」などは人間の最低次の欲求であり、「自己実現」こそが人間の最高次の欲求 (注) である。) 

(3) なお、「自己実現の欲求」とは、「自分らしい自分・なりたい自分」を求めることである。

(注):のちに、⑥「自己実現」を超える欲求もありうるとされるが、有名なのは①~⑤の5段階なので、ここでは捨象する。


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いかがであろうか。この説が、人間を機械としてではなく、多様な側面を示した意義はたいへん大きい。

 「そんなこと当たり前だろ」と思われるかもしれないが、(現実にどうなったかは別にして 🧐) 、当時、これを権力・権威に対して浸透させたという意義 は大きい。

しかしながら、この言説自体に多くの問題がある。以下、8つに要約する。下にいくほど現実的なシリアス問題である。

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1.まず、素朴なギモンとして、一体、「低次」/「高次」って何なのよ!? である。😦

人間の欲求に高いも低いもあるか!?視聴者からすれば「勝手に言うなよ」ということである。❌これは、社会評価や社会価値そしてその影響を受けた専門家の個人的な主観バイアスあるいはマズローの個人的欲求 (笑) にすぎない。もう少し踏み込んで言うと、「飯を食ってウンコ製造すること (生理的欲求) の何を指して低次といえるのだよっ?!「高次・高次」と言ってるアナタこそ「低次」のため生きてんだろ?!(草)」という批判である。


2.次に、ギモンなのは、人間をたった「5つの欲求」だけで言い表せるの!?である。😦

答えはである。人間はそんなに単純ではない。複雑である。❌だからといって、20も30も性質や欲求を提示する研究者がいるが、ほとんど意味不明である (複雑にしているだけで、ホントウに人間を言い表せているか?!とツッコミは耐えない。)。


3.仮に欲求が5つしかないとして、どうして「生理的欲求」~「自己実現」というように具体的に規定できるの!?である。😦

答えはである。❌マズローによると、「自己実現欲求」は受容性・自発性・神秘性など観点からパーソナリティを規定するものになっている。しかし、個性、場所・国、文化、環境、時代、その時その瞬間、年齢、性別、科学技術の水準、健康状態などによって違う内容になるのは当然であって、そんなこと無機的に (機械のように) 規定できるはずがない。「人間を機械視することから脱却するはずではないんですかーーっ!?」ということである。

そもそも、マズローたちがいう「自己実現」とは「〇〇だ」「〇〇だ」「〇〇だ」「〇〇だ」とウルさすぎませんか?!っと。「<自己実現人>になりたければ<〇〇すべきだ>」と脅迫的に聞こえるわ!という問題。でもねー、このように他者から一方的に規定されるようでは、大いに「他者実現」ではありませんか(爆)。ちなみに、この構造的な欠陥は、下記した 6.番の闇に繋がります。


4.さらにギモンなのは、それぞれ規定された欲求どうしの関連性はどうなってんの!?である。😦

文字で書かれた規定でさえ怪しいのに、現実の世界でそれを明確に峻別することなどほとんど不可能である。❌マズローによると、たとえば、「承認欲求」と「社会的欲求」と分けることができる。しかしながら、「ホントにそれ、分けることができますか?『社会的欲求』は『承認欲求』に混じることもあるじゃないんですか?!」ということである。


5.関連して、とてもギモンなのは、なぜ低次元から順番に高次へと出てくると言えちゃうの!?である。😦

答えはである。❌マズローによると、先に低次元の欲求が満たされないと高次元の欲求は出てこないという。たとえば、「生理的欲求」と「安全性の欲求」の低次欲求が満たされないと、次の段階の「社会性欲求」は出てこないという。しかし、「それはホントですかーっ?!安全が満たされていなくても、社会に参加したくなることもあるんじゃないですか?!」ということである。

❌もうひとつ例示する。マズローによると、「生理的欲求」と「安全性の欲求」と「社会性欲求」の3つが満たされないと、その次の段階の「承認欲求」は出てこないという。
しかし、「それはホントなんですかよ?!社会参加が苦手な人でも、承認を求めることもあるんじゃないですか!?」ということである。


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このように、「自己実現論」あるいは「五段階欲求階層説」は、ほとんど論理構造的に破綻している。😓

これに加えて、「自己実現」という概念、つまり「自分らしい自分・なりたい自分」というコンセプト自体にも問題がつきまとう。それは次の3つだ。

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6.この「自己実現論」、実は、産業心理学としてマネジメントの分野で発展した。元々は、おカネ持ち達によってキカイ化された労働者を救済するために出てきた理論だが、現実は必ずしもそうはなっていない。😦

❌現在では、この理論が逆に取り込まれて、労働者をコントロールするための技法となっている。インターネットを検索すれば山ほどでてくる (爆)。

つまり、「自己実現論」の「自分らしい自分・なりたい自分」とは、「仕事を通しての自己実現」ともいわれ、経営者がコントロールするために、自分 (あなた) を求める という形であらわれる。

つまり、まず、「自分らしい自分・なりたい自分」になるためには「〇〇せよ」・「〇〇すべき」というように他者 (経営者) から条件付けられる。先ほどこれを「他者実現」と述べた。そして、それが「仕事を通して」の自己に関連づけられるため、ノルマ化する。いわば、「自己を経営者に人質にとられた形」となる訳である。

このようなことが推奨されれば、人間性の回帰どころか、心理的障害の原因になりうる、のであるよ。

一部の専門家の間には「マズローたちにそのような意図はない。それはエライ専門家閣下たちの誤訳あるいは誤解である。」というような見解もあるようだが、そんなことを「ボソっ」と言われたところで何の救いにもならない。そもそも、上記3番で挙げたように構造的問題があるのですよ。

解決策・処方箋については、📘 拙著「神経マニピュレーション -クソ社会を生きるための技法-」を参照のこと。https://www.amazon.co.jp/dp/B09YH77XB2/


ただし、これとは逆に、「会社とは関係なく、なりたい自分」をマネジメントに導入した専門家やコンサルがいた。しかし、これは経営の破綻である。経営組織が無秩序になった。「早く会社辞めて〇〇」と言いだした。そりゃそうだろう (笑) こんな体たらくでも大きな顔をしてふんぞり返ってる専門家はいる。😦


7.そもそも「自己」て何ですか?!というギモンもある。「自己」とは様々なことの相互作用によって成り立つもので、しかも流動的である (これをダイナミズムと呼ぶ。)。😦

❌決まりきった「自己」なんてものはない。この指摘が、マズローや経営学を支援するポイントにはならない。むしろ、そうだからこそマズローや経営学が失当する瀬戸際にある、といえよう。つまり、「自己」なんてものは、実現目標や経営目標なんぞをを超えたところにあるのだ。

構造については、📘 拙著「神経マニピュレーション -クソ社会を生きるための技法-」を参照のこと。https://www.amazon.co.jp/dp/B09YH77XB2/


8.最後に、「自分らしい自分・なりたい自分」になりたい、というのは本心なのか!?自分に自分がノルマを課していないか!?というポイントである。😦

❌「自分らしい自分・なりたい自分」が本心であれば、それをわざわざ自己表明し、あるいはわざわざ他者から言われる必要などあるのですか?!という問題である。
本心でなければ、「自己実現論」はすぐに「〇〇すべき論」ノルマに変貌する。このような「〇〇すべき論」やノルマは心理的障害の原因となるおそれがあるばかりか、努力の逆作用も手伝って、ついには「自己」を実現しない「自己非実現論」となりはててしまうであろう。


筆者は、「自己実現」という思想が、人生全体において、「自己」の多面性と可能性を自由に開いておくことに繋がらない、と考えている。

「自己が何者かでなければいけない」という圧 (プレッシャー) は、生きにくさや悪循環を創出するのである。

解決策・処方箋については、📘 拙著「神経マニピュレーション -クソ社会を生きるための技法-」を参照のこと。https://www.amazon.co.jp/dp/B09YH77XB2/


最後に、これに関連して 御坊さんのお言葉 をご紹介しよう (なんでやねん! (笑))。👨‍🦲「人間が自己という様式でしか存在できないとするならば、そこに違和感はあって当たり前。」「みんな、意識しようがしまいが居心地の悪さに耐えているんです。」*1)

*1) 南直哉『宮崎哲弥 仏教教理問答』サンガ,2012年,170頁。

*2) 📘 拙著「神経マニピュレーション -クソ社会を生きるための技法-」2022年。https://www.amazon.co.jp/dp/B09YH77XB2/


以上。

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