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ひび

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日々のことについて文章を書きます。
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2019年6月の記事一覧

読んでます

先日とある人から、あなたのnote読んでますヨ、と言われた。時折そういう類のことを言われるのだが、その度に自分は喜ぶどころか困り顔で、それはそれは、どうもです、と言って苦笑いをしてしまう。

そのときの相手は強敵で、しどろもどろな自分を無視する勢いで、あの鶴橋の変な居酒屋の話とか面白かったですヨ、なかなか文才がありますヨ、などと言って恥ずかしさに追い打ちをかけてきた挙げ句に、noteで文章を書く際

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一人称

自分はこのnoteでの一人称は「自分」だが、以前やっていたブログでの一人称は「おれ」だった。それは、今思うと、明らかに筒井康隆の影響である。何かの本で、「おれ」という一人称を使う理由として、男という生き物は誰であれ心の一人称は「おれ」であり、「おれ」は最も純粋に自分自身を投影する呼び名であるから、みたいなことを読んだことがある。確かに、自分も心の声での一人称は「おれ」かもしれない。ただ、文章におい

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敏感鈍感

自分は敏感だと思っていたけれど、もしかしたら鈍感なのかもしれない。

たとえば自分の発した言葉が、誰かを傷つけたり悲しませたり怒らせたりしていても、気付かないことがある。表情や仕草で読み取れず、相手の怒りを無視したままヘラヘラと喋り続けてしまうモード、になってしまうことがあり、後になって、実はあのとき私はあなたにキレていました、と言われる。過去に何度か、そうしたことがあった。そのとき言ってくれない

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ルンルン

うんざりする毎日を打破するのは何だろうと考えたら、それはもう、ルンルンしか無いのではないか。ルンルンは自然に湧き起こり、そしてあくまで、超個人的なものである。たとえば素敵な作品に触れたとき。たとえばライヴへ行く道のり。たとえばデートの前日。たとえば海開き。ルンルンは十人十色。何にせよ、うんざりを打ち消すルンルンを、我々はもっと大切に想うべきだろう。

ルンルンは、世の中を変えるものでは無い。ただ純

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メクラの本屋

今日は、友人O橋の地元である八尾へ行ってきた。何度か行ったことはあるが、特に何も無い街である。なぜ行ったのかというと、暇であることと、友達が異常に少ないことが、主な理由である。近鉄八尾の高架下、ださいショッピングモール、曇天の向こうには山が見える。どっかおもろい所に案内せえ、と言うと、O橋はごにょごによ言いながら、とある古本屋へ連れて行ってくれた。商店街の中にある老舗の古本屋「大仙堂書店」である。

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起きれば昼の一時、そこからもう少しごろごろして、飲まず食わずでごろごろを繰り返して、三時。肩と首と頭が痛い。むくりと起き上がったが、どうにもこれは、駄目です。何もする気が起きません。思考も回りません。

部屋を見渡すと、昨日取り込んだ洗濯物が床に散乱している。畳もうと思ったが、一枚、二枚、と畳んだところで身体が停止した。口を開けながら虚空を見つめた後、はっとして、また一枚、二枚と畳んで再開するが、

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近頃の音楽

近頃の音楽をあまり聴かない。というよりも、音楽自体をあまり聴かない。聴こうと思えばいくらでも聴ける時代であるのに、ウォークマンや音楽アプリを使って聴くことも無い。店では時折FMラジオを流しているため、ヒット曲を耳にすることもあるが、所詮はBGMであるので、残らない。CDを購入することも無い。借りることも無い。じっくりと音楽を聴き楽しむ時間が、自分の暮らしには一切無くなってしまった。

いつからそう

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褒め言葉

芸人をやっていて、人に何と褒められたら一番嬉しいかという話になった。普通に考えれば「おもろい」だけれども、案外「おもろい」と言われても別段嬉しくは無いというか、ドーモ、くらいの気持ちにしかならない。それは、当たり前のことを当たり前に言われたところで感動は薄いのではないか、という結論に至った。「かっこいい」はどうだろう。自分も時折言われることがある。これは、実はちょっと嬉しい。男に言われたら尚嬉しい

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わさわさ

先日串カツ屋へ行き、カウンター席で豚串、麸串、生キャベツなどをもしゃもしゃと食べていたら、隣席に中国人カップルと思わしき男女が座った。

男の方は丸眼鏡で冴えない青年である。女の方はというと、黒髪おさげで色白細目、チークはピンクで唇は赤の、可愛らしい人だった。自分は何となくその女性を見つめていた。そして彼女が串カツをソースに付けようと、おもむろにまくった袖、そこから露わになった二の腕を見て、驚いた

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松本人志

凶悪殺人犯は生まれながらの不良品で、不良品同士で殺り合ってくれ、と松本人志がテレビで言った、というネットニュースを見て、その番組を確認すると、確かにそう言っていた。ボケでは無く、神妙な面持ちで言っていたので、本心であると思われる。何とも言えぬ寂しい気持ちになった。

生まれながらの不良品である人間など存在するのだろうか。自分の知り合いには、障害者も病人も狂人も引きこもりもいるが、彼らを不良品だと思

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こら!

まあ何とかなるやろ、が口癖で、そのとおり、今までは何とかなってきた。死なずに、大病もせずに、生きている。貧乏ではあっても、珈琲を飲んだり寿司を食べたりして、暮らしている。それなりに仲の良い人もいる。好きな女性もいる。好きなライヴを好きなときに演っている。誰にも怒られないのを良いことに、日々を、すこぶる怠けて過ごしている。

好きなことだけして、一生ふざけて暮らしたい。それは、あくまで逃げの姿勢であ

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今そば

「今そばにいるお前はあくまで今そばにいるだけであり、いつかは必ずどこかへ行ってしまうのかと思うと無性に寂しい気持ちにもなるが、だからこそ、今そばにいるお前を今おれは大切にした方がええんちゃうかな、と思う。そしてまた、おれも同じく、今ここにいるだけで、いつまでもおれがここにいると思うなよ。どの道おれもお前も待ち受けているのは破滅以外には考えられぬ。だから今はお互いに、ひもじい顔つきで、空虚の穴を埋め

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