敏感鈍感

自分は敏感だと思っていたけれど、もしかしたら鈍感なのかもしれない。

たとえば自分の発した言葉が、誰かを傷つけたり悲しませたり怒らせたりしていても、気付かないことがある。表情や仕草で読み取れず、相手の怒りを無視したままヘラヘラと喋り続けてしまうモード、になってしまうことがあり、後になって、実はあのとき私はあなたにキレていました、と言われる。過去に何度か、そうしたことがあった。そのとき言ってくれないと気付きません、と言うと、更にキレられるのだった。

逆の場合。たとえばA美という人が自分に好意を抱いていたとする。共通の友人や知り合いからすると、それは一目瞭然らしく、A美ってお前のこと好きなんちゃうん?と周囲から言われる。けれども自分は、まさかそんなことは無いだろう、とA美の遠回しな好意には気付かない。そしてやはり後になってから、他の男と結婚したA美から、実はあなたのことが好きだったんですよ、と言われる。そのとき言ってくださいよ、と再び思ってしまう。過去に一度だけ、そんなことがあった。

勿論、誰かと誰かの恋仲や不仲も、言われなければ気付かない。B助とC菜が付き合っていることを、自分は最後まで知らなかった。D太郎とE道が喧嘩の末に不仲になっていることも知らなかった。全くもって自分は気付かなかったのである。だからC菜を口説こうとしてB助に不審がられたり、D太郎にE道の話ばかりして、D太郎が嫌な気持ちになっていることにも気付かず、話し続けて…。

自分は、超鈍感のヌートリア人間なのだろうか。他人に興味が無いのだろうか。そんなことは無い、そんなはずでは無い、と信じたい。なぜなら自分の根底には、非常に敏感で繊細で戦士ティブマイハートな部分も確かに存在するからだ。他人の動向に目を配り、細かな変化にもよく気付く、敏感肌な自分もいる、ということを主張したい。

その証拠に、自分は他人の小さな言い間違いやミス、矛盾、知ったかぶり、見栄、ドヤ顔には、誰よりも早く気付き、指摘することが出来る。また、自分は他人の鈍感に対しては過剰なほどに敏感である。鈍感な人を見ると、あなたは全然気付いていませんね、フフフ、と心の中で笑っている。そして、自分に向けられた些細な一言にも敏感である。傷心すると、完全にインプットされたその言葉は生涯忘れず、末代までしっかりと恨み通す。

他人の恋路は分からないが、欲望ならば、気付く。今こいつ格好付けたな、今こいつ可愛こぶったな、といったことを、すぐさま察知する。それどころか、敏感な自分は、より細かい所まで気付くことが出来るのである。

「今お前は当たり前の顔をしながら目の前の女と話しているが、緊張してんのがバレバレ、モロバレ、それを隠すために、敢えてクールに振る舞って所々格好付けていることさえバレている。お前はあわよくばこの女と助平なことが出来へんかと企んでいるくせに、無欲を気取って平然としている。お前には無理。女の方はニコニコしているが内心は苦手だなと思っているに違いない。証拠に、さっきから時計をチラチラと見ている。帰りたい空気を出しているのにお前ときたら。今お前、相槌で、あぁ、と言ったが、完全に知ったかぶりの、あぁ、だった。知らない癖に、知った感じの、あぁ、とお前は言った。おれは気付いている。そして、おれが気付いていることに、お前は全く気付いていない。鈍感な奴はこれだから困る。それに比べておれは敏感、繊細、戦士ティブマイハート。」

「私、彼とゆっくり話したいのに、この人がじろじろ見てくるから、嫌やわ」
「こいつ邪魔やな。二人きりでいたいのに。早よどっか行ってくれへんかな」

何もいりません。舞台に来てください。