松本人志

凶悪殺人犯は生まれながらの不良品で、不良品同士で殺り合ってくれ、と松本人志がテレビで言った、というネットニュースを見て、その番組を確認すると、確かにそう言っていた。ボケでは無く、神妙な面持ちで言っていたので、本心であると思われる。何とも言えぬ寂しい気持ちになった。

生まれながらの不良品である人間など存在するのだろうか。自分の知り合いには、障害者も病人も狂人も引きこもりもいるが、彼らを不良品だと思ったことは無い。皆、それぞれの闇を抱えながらも、何とか生きていて、この先どうなるかは分からぬまま、底なしの不安と戦っている。凶悪殺人を生み出すのは、家庭や社会といった環境が大きく起因していると自分は思っていたので、生まれながらの不良品、という発言には恐怖を感じる。

不良品と聞くと、あれ?もしかすると、自分も不良品かもしれない、という怖さもある。自分のことを、欠如した人間、不良品だと思っている人間は少なからずいるだろう。特に現代では、生き辛さを覚えて、どこか心にぽっかり穴の空いた若者は多くいるはずである。そうした人たちは松本人志の発言を聞いて、ゾッとしたのではないか。

自分は引きこもりの経験は無いが、鬱屈した、悶々の時代もあった。自殺したい、人を殺したい、と思ったことは無いが、どこかでネジ曲がって最悪の未来になる想像ならば何度もしたことがある。やり切れない暮らしの中で、松本人志の笑いに救われた人は沢山いるだろう。自分も小学生の頃から大人になるまで、ずっと好きだった。しかし、ここ10年ほどは、何だか落ち着いてしまった、もっと言うと、落ちぶれてしまった、その姿を見て、あれ?この人ってこんなんやったっけ?と思うこともあり、かつてのワクワクは消え失せていた。

凄まじく、面白かった。安全圏でのさばるエセ正義を底からアッパーパンチでしばき倒す笑い、かつ、裏切りと皮肉と悪意の塊のような笑い、かつ、孤独でニヒルで情けない笑い、かつ、言葉の曖昧さと繊細なニュアンスによる計算された美しい笑い、などなど。数々の笑いを作り出して、現代の日本の笑いの基準を作り上げた。

だから尚更に、人間を突き放したようなこの発言は寂しく思う。圧倒的な弱者に成り下がったときに生まれる惨めな笑いを愛していたのでは無かったのか!生まれながらの不良品、なんて、今の地位ある松本人志に言われたら、ショックを受ける。まあ、ぼくも不良品なんですけどね、くらいのことを言ってくれ。というか、ワイドショーなどやらないでくれ。作品作りを放棄した天才の成れの果て。今や、皺くちゃ顔のご意見番。芸人たる矜持はどこへやら。昔の松本人志が見ていたら、確実に小馬鹿にしただろう。

切なすぎぃ、なんですけどぉ、最悪ぅ…。

何もいりません。舞台に来てください。