映画『デッドプール&ウルヴァリン』レビュー:忘れ去られたものとマルチバース
※以下、音楽とその曲を使っているシーン、一部設定についての記述があります。物語、キャラクターの具体的なネタバレはありません。
マーベルコミック原作の映画『デッドプール』シリーズの3作目。前作から今作に至るまでの間の大きな出来事として、ディズニーによる20世紀フォックスの買収があった。そうした騒動を経て、今作はシリーズにとって初のMCU作品となる。公開前から、ライアン・レイノルズ演じるデッドプールとウルヴァリンの共演、ヒュー・ジャックマンのウルヴァリン役復帰が話題になった。
監督は前作のデヴィッド・リーチからショーン・レヴィに交代。『リアル・スティール』でヒュー・ジャックマンと、『フリー・ガイ』および『アダム&アダム』ではライアン・レイノルズとタッグを組んでいた監督でもある。なかでも『フリー・ガイ』は、大人気ゲーム、『フォートナイト』と『グランド・セフト・オート』を掛け合わせたような世界観を表現していた。実際に、映画は『フォートナイト』とのコラボレーションも実現している。
『デッドプール&ウルヴァリン』では、序盤にゴアかつクロースアップ、スローを多用したアクションが繰り広げられる。これは、『ガーディアン・オブ・ギャラクシー』など、MCUの過去作以上に、格闘ゲームの『モータル・コンバット』をまず想起させた。また、別の場面では、ウルヴァリンやデッドプールがキャラクターとして使用できる格闘ゲーム、『MARVEL vs. CAPCOM』シリーズを思い出させる動きにも驚かされる。さらには、横スクロールアクションゲームのようなショットも存在する。今作では、デヴィッド・リーチが手がけた『ジョン・ウィック』的な目を見張るアクションはないものの、格闘ゲームやアクションゲームの記憶をまず呼び起こされた。
蛇足になるが、先日、『MARVEL vs. CAPCOM』シリーズを集めた『MARVEL vs. CAPCOM Fighting Collection: Arcade Classics』のリリース予定が発表され、大きな反響があった。また、デッドプールのコミックでも、『MARVEL vs. CAPCOM』の今後について言及している。
さて、ショーン・レヴィ監督はドラマ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』でも有名だが、同作は、ノスタルジックなもの、懐かしのカルチャー、今では古くなり、場合によってはちょいダサになってしまったものなどを再構築し、現代に生き生きと蘇らせた。
その点、本作で、とあるヒーローたちの戦闘においてアトランタのラッパー、T.I. のヒット曲「Bring Em Out」(2004年)を流しつつ途中から映画音楽をミックスして現代的に見せるシーン、そして先ほど触れたモータル・コンバット的なアクションに、イン・シンクの「Bye Bye Bye」(2000年)を合わせる場面。合わなさそうなものを混ぜるこの2つの演出は肝だと思った。
まず前者、ゼロ年代のテンションの高いヒップホップをアクションに対してベタに使うのは、大仰で思わず苦笑してしまうほどだ。しかし、曲途中から、DJのロングミックスのようにヒーロー映画的な音楽が混ざってくると、その印象がガラッと変わり驚かされた。パーティソングにも関わらず、少し荘厳な雰囲気さえ漂っていた。ネタバレになるため詳しくは書けないが、「観衆や仲間が、奴(ら)を出せと叫んでいる」、というこのヒップホップ・アンセムの歌詞は、後に述べるヒーローのノスタルジーと再生にもつながっており、ミックスされた音楽と相まって心動かされる。なお、「Bring Em Out」がリリースされた2004年は、あるヒーロー映画シリーズの現状最終作が公開された年でもある。
そして後者、ゴアなアクションとボーイズ・バンドの大ヒット曲「Bye Bye Bye」という、一見ミスマッチなものの組み合わせ。敵を残虐に倒しながら踊りまくるデッドプールの姿が脳裏に焼き付いて離れず、曲をつい検索してしまった、という人も多いのではないだろうか。
そのイン・シンクの「Bye Bye Bye」は、『X-MEN2』(2003年)でも使われている。しかし、車内で大音量の曲がかかった瞬間、顔をしかめたウルヴァリンがすぐに消してしまう。この反応と表情は、当時のボーイズ・バンドの受容、その微妙な立ち位置を表しているかもしれない。映画公開の前年には、イン・シンクが活動休止。今では俳優としても知られるジャスティン・ティンバーレイクがソロ活動を開始し、アイドル路線からの脱却に成功している。いずれにせよ、『X-MEN2』では一瞬で消され、切断されてしまったこの曲は、本作においていわば復活し、ほぼフル尺で流されるだけでなく、デッドプールが振り付けを踊ってまでいる。
なお、インシンクの公式Youtubeチャンネルでは、15年前に出されたMVのタイトルに、 "from Deadpool and Wolverine"の文言が付け足されていた。
脚本の中にこうした懐かしのポップカルチャーを盛り込むのと、第四の壁を越えながら常にメタ視点でジョークを話すデッドプールのキャラクターとは、非常に相性がいい。『フリー・ガイ』でも、ヒーロー映画を含めたポップカルチャーのオマージュが多々あったが、今作ではそれ以上にネタが敷き詰められ、会話を次々とドライブさせていく。音楽も含めリアルタイムでそうしたものに触れてきた人なら、笑いどころが多くずっと飽きずにいられる。たとえ知らなかったとしても、「Bye Bye Bye」で躍動するデッドプールには惹きつけられるだろう。
ポップカルチャーを次々と引用していくその過剰さ、言及されるコンテンツないしキャラクターの飽和とも言える状態は、マルチバース以後を描いている昨今のヒーロー映画にはありがちだとも言える。その点、過去のヒーローへの言及、しかも企画段階に終わったものにまで触れている点で、『ザ・フラッシュ』(2023年)を思い出した。
実際、似ているところは多々ある。まず第一に、過去のヒーローへのノスタルジーが挙げられる。また、マルチバースに対して距離をとるような決断ないしは茶化す場面があることもそうだ。そして、それにもかかわらず、マルチバースの設定自体はそのまま続いていくであろう点。それはまるで、SNS含めさまざまな人やコンテンツに接続した状態から意識的に逃れることが難しい、我々が生きているこの世界のようでもある。
私たちは、PCやスマホ一台さえあれば、マルチバースの世界のように、現在のみならず過去のコンテンツまで容易に、そしてほぼ無限に消費することができる。しかし、実際は、知らなかったものにたどり着くのは難しく、個人的に思い入れのあるものでさえ、ただノスタルジックに懐かしさを享受するだけ、という場合がほとんどだ。そうした中、すでに忘れられつつあるヒーローたち、当時中断してしまった企画を含め、過去をどう積極的に肯定できるのか。
『デッドプール&ウルヴァリン』には、キャラクターたちの墓場のような「虚無」と呼ばれる空間が存在する。そうしたいわば墓場にある過去のコンテンツを虚無的に消費するのではなく、いま新鮮に見せること。その過去には当然、旧20世紀フォックスも含まれる。忘れ去られそうになっていたコンテンツの担い手、それに夢中になってきた人々を肯定しつつ再び輝かせること。これは、古くなった音楽や日の目を見ないままだったレコードを掘り返し、現在において提示するDJたちとも似ている。ネタバレになるため詳しくは書けないが、エンディング含め、この映画にはたしかにそうした瞬間が存在するのだ。