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「夢みる小学校」上映会(2022.2.12)

昨日、2月12日、UPLINK吉祥寺で「夢みる小学校」の上映会とミニトークショーが開催されました。

トークショーにはこの映画を制作したオオタ・ヴィン監督と、こちらの上映会を実現した立役者でもある公立小教諭の二川先生、同じく公立小教諭の庄子先生、元公立小教諭でHillock初等部校長の蓑手先生という豪華メンバーが参加しました。

「夢みる小学校」とは

映画監督のオオタ・ヴィン氏による、南アルプス子どもの村小中学校を中心としたドキュメンタリー映画。
全国にある「きのくに子どもの村」系列5校と、伊那市立伊奈小学校(公立小)を通して、成績や点数が評価軸ではない、新たな形の小学校を紹介しています。

南アルプス子どもの村は、「きのくに子どもの村小中学校」の姉妹校。
小学生、中学生が異学年で学び合い、体験学習と教科学習を融合した理想的な学校です。

眞島がみた、夢みる小学校「南アルプス子どもの村小中学校」の特長

①フラットな関係性

先生、生徒という上下関係はなく、イメージとして、先生は「〇番目の生徒」として活動している感じです。
「〇〇先生」という呼び方はせず、他のお友達と同じようにニックネームで呼び合ったりしているのがとても印象的でした。

②ともに教え、まなびあう

わからないこと、迷ったことがあったら、まず、周りにいるお友達に聞いてみる。それでもわからなかったら大人に聞いてみる。
いろいろな人の意見を聞いたうえで自分なりの判断をする、というルーティンが自然とできていて、意識せずともしっかり自立(自律)できているところに感心しました。

③魅力的なアクティブラーニング

文科省が2020年にアクティブラーニングを推奨するようになったのですが、体験学習やプロジェクト学習から教科学習へとうまく変換・融合させている印象を受けました。

一杯のそばを食べるまでに、
畑でそばを栽培する→そばを収穫して実を取り出す→石うすでひいてそば粉を生成する→そばをうつ
と、一連の作業を体験することで、さまざまな教科学習と融合させるわけです。

植物に大切な養分や要素は理科の分野、そばをうつのは家庭科の分野、農機具については社会の分野、といろいろな教科を横断的に学ぶことができるのがアクティブラーニングの最大の魅力です。

個人的には、映像で石うすが出てきたときに、小学校の国語『石うすのうた』という授業を思い浮かべていました。
お友達のおばあちゃんがわざわざ学校に石うすを持ってきてくれて、みんなで交代でそば粉作ったなぁ、と40年も前のことを昨日のことのように思い浮かべていました。
40年前のことを今でも思い出すくらい、体験は記憶に残りやすいものです。
まさに、体験に勝る学びはないと思います。

④自ら考え、行動する力が養われる

冒頭の映像で、木製の大型遊具を小学生が自分たちの手で作っている映像が流れていました。
南アルプス子どもの村小中学校では、イベントひとつするのも、生徒の発案で生徒主導で実施するところが魅力的です。

何に、どれくらいお金をかけるか。
何に、どれくらい時間をかけるか。
何を作るのか。
どうやって作るのか。
作り(創り)上げるためには何が必要か。

時間がかかってでも、自ら考え、ひとつのものをつくり上げていくことの素晴らしさを伝えているように感じました。

⑤無理をしない、無理をさせない

自分たちでものをつくり上げていく、ということはもちろんあるのですが、参加の有無も自分で決めて良い、というスタンスを取っています。

参加したいときには参加する。
参加したくないときは無理せず。

適度な距離感を保ちながら周りの様子をみることで、自分を内省し、「このままじゃだめだ」と自らを奮い立たせる原動力にもつながります。

私たち大人の世界でもそうですが、「私ができることはあまりないかもしれないけど、できることを、できる範囲でやろう」という場づくりを学校全体でしています。

ラーニングピラミッドにみる、アクティブラーニングの大切さ

先述しましたが、体験したことは記憶に残りやすく、頭にも定着しやすいという特徴があります。
それは、ラーニングピラミッドを見ると一目瞭然です。

(Wikipediaより引用)

英文の資料しかなくてごめんなさい( 一一)
左側のパーセンテージは、定着率をあらわしています。

5%・・・講義を受ける
10%・・・読書をする
20%・・・動画を見たり、音声を聞いたりする
30%・・・デモンストレーションをみる
50%・・・グループディスカッションに参加する
75%・・・体験する、学んだことを実践する
90%・・・他人に教える

つまり、50%以上の定着率を得るには、自分から能動的に動いて五感と、体をフル活用することがカギとなります。

昔、私が個別指導塾で講師として働いていた時は、あえて、「どうしてこういうふうになったのか、私に教えて」という時間を90分の講義のうち60分程度とっていました(これは学校では通用しない技です)。

それは、このラーニングピラミッドに基づくところからでもあり、人にわかりやすく教えることが自分の学びにつながると感じていたからでした。

生徒に教えてもらうもうひとつの理由としては、講師である私自身の癖をみつけるためのものでもありました。
怖いもので、生徒は先生から教えてもらったものしかインプットしていないため、話し方や動きそのものが先生のコピーになりがちです。
つまり、先生側からすると、自分の悪い癖を客観的にみることができるわけです。
私自身の事例でいうと、「え~っと」という言葉が異常に多かったということが判明しました( 一一)

この映画をみて感じたこと

この映画は、南アルプス子どもの村小中学校を題材とした映画ではありましたが、既存の学校や保護者に向けてのメッセージ性も同時に感じました。

あと、自分の中でひそかに問いを立てていた答えとしては、「私の考えは間違っていなかった」ということでした。
昔、北九州市に住んでいた時、息子を小倉南区平尾台にある「北九州子どもの村小中学校」に入れるかどうかで迷っていた時期がありました。
結果、娘の「ずるい」の一言で実現しなかったのですが、今後、こういう学校が少しずつ増えてくるのではないか、体験型の学校は絶対必要だということは間違いではなかった、ということがわかりました。

私自身、それぞれの個性をリスペクトし、互いの持っているものを融合し、醸成して新たなものを創り上げるものこそがインクルーシブだと思っています。

その一環として、いまは、困りごと、悩みごとのある方向けにさまざまな選択肢をアナウンスする役割を担っています。

インクルーシブというと、「教室の中にさまざまな特性を持った子どもを一つの教室に入れて共に学ぶ」というイメージがつきがちですが、私の中では、それは狭義の意味でのインクルーシブだと思っています。

その狭義のインクルーシブでさえも、見えない線で判別されて、支援級や支援学校への異動をよぎなくされるお子様も少なくありません。
教科書も配本されず、通常級と同等の学習権も与えられず、休み時間に一緒に外に遊ぶこともできず、「監獄にいるようだ」「ぬかるみに足をとられて1ミリも動けない」という感想を述べるわが息子のような事例も残念ながら出てきています(特別支援学級がしっかりしていて、本当に手厚くみていただき、感謝しているという方も多くいますのでそこは誤解なきようお願いします。とはいえ、少なくとも学校間格差があるとはいえます)。

私が思う広義のインクルーシブというのは、映画の中で尾木先生も言われていましたが、公立、私立、オルタナティブといういろいろな形の学校が全て無料で存在して、子どもたち、保護者、そして先生という当事者たちが、自由に自分の行きたい学校を選択できたり、あわないな~と思ったら、気軽に他の学校に転校できるようなシステムです。学校の中には当事者だけでなく、地域全体でフォローしあえるシステムづくりができたら、なお良いものになると考えています。

そういう意味では、残念ながら日本の公教育においては、欧米に比べ50年は遅れているのではないかと感じています。

今すぐ、広義のインクルーシブを実現するのは難しいとは思いますが、「こういう学校が一条校(学校教育法第一条に掲げられている教育施設の通称)として存在しているんだ」ということを知っていただくという意味では、2015年に公開された「みんなの学校」とともに、後世に語り継がれる、とても良い映画だったと思います。

この映画は、文科省選定映画なので、一人でも多くの方に見ていただきたい
たうえで、今後も、映画をみた感想やこれからの学校像を皆さんでシェアできたらうれしいです。

(左から蓑手章吾先生、庄子寛之先生、オオタヴィン監督、二川佳祐先生)







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