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無門関・現代語訳

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無門関の原文を現代語に訳したものです。 具体的な考察分は入れてありません。
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#コラム

無門関第十三則「徳山托鉢」現代語訳

公案現代語訳 本則  徳山は、ある日、食器を持って、お堂から出た。  雪峰から問われた。 「老師、鐘も鳴らず太鼓も響いていないのに、食器を持ってどこに行くのですか」  徳山はすぐに部屋に戻っていった。  雪峰は巖頭に、この話をした。  巖頭は言った。 「いずれにしろ、徳山は、まだ末後の句を会しておられぬのだろう」  徳山はこれを聞き、侍者に巖頭を呼んで来させて、問うた。 「お前はこの老僧を否定するのか」  巖頭は細かにその真意を申し上げた。  徳山はそこで安心した。  翌日

無門関第十則「清税孤貧」現代語訳

公案現代語訳 本則  曹山和尚に、僧が問うた。 「私は孤独で貧しい。師よ、どうか、私をお救いください」  曹山は言った。「清税闍梨」  清税は答えた。「はい」  曹山は言った。 「青原白家の酒を、三杯も飲んでいながら、まだ唇が乾いていると言うか」 評唱  清税は、どういうつもりで、こんなことを言ったのだろうか。  曹山は、その真意を見抜き、言われたことに一枚上手の返答をした。  とはいえ、もしもそうなら、清税闍梨が飲んだ酒は、どこにあるというのだろう? 頌  貧しい様は

無門関第九則「大通智勝」現代語訳

公案現代語訳 本則  興陽の清譲和尚に僧が問うた。 「大通智勝仏は、十劫という長い間、道場に座禅を続けるも、仏法は現れず、仏道を完成させることができないのは、どういうことなのでしょうか」  清譲は言った。 「その質問は、非常に核心を突いておる」  僧は言った。 「ずっと道場に座禅を続けていて、どうして仏道を完成させることができないのでしょう」  清譲は言った。 「彼が、仏にならないからだ」 評唱  釈迦や達磨を知ることはできても、釈迦や達磨を会得することはなかなかできるも

無門関第八則「奚仲造車」現代語訳

公案現代語訳 本則  月庵和尚に、ある僧が問うた。 「奚仲は、車を造ること実に100台に及びました。  その車の両輪を外し、車軸を取り去って、彼はどのようなことを明らかにしようとしたのでしょうか」 評唱  もしも、すぐに明らかにできるなら、その眼は流星のようであり、そのはたらきは稲妻のようであろう。 頌 「機」の輪が転がり転じる処は、達人でもやはり迷う。  四隅に上下、東西南北。 ※頌の原文  機輪転処 達者猶迷  四維上下 南北東西 注記  奚仲は、古代中国の王朝

無門関第七則「趙州洗鉢」現代語訳

公案現代語訳  趙州和尚に、ある僧が問うた。 「私は、この寺に新しく入ったばかりです。どうか教えてください」  趙州は言った。「粥はすすり終わったか。まだか」  僧は言った。「粥はすすり終わりました」  趙州は言った「使ったお椀を洗っておきなさい」  僧は思いを巡らし、そして、気づいた。 評唱  趙州は口を開いて胆を見せ、心肝を露わにした。  訊ねた僧は、このことの真の意味が解らなければ、釣り鐘を持ってきて甕にするだろう。 頌  はっきりと明らかであるが故に  かえって

無門関第六則「世尊拈花」現代語訳

現代語訳 本則  釈迦は、昔、霊鷲山での説法会で、花を一本つまみ、聴衆に示した。  このとき、聴衆は皆、黙り込んでしまっていた。  唯一人、迦葉だけが、顔をほころばせ、微笑んだ。  釈迦は言った。 「私はかつて、悟りに至った。  物事を正しく見通す眼をもち、故に一切の迷いがない。  その実相は無相であり、人智の及ばぬ境地である。  この悟りは、文字で表すことはできず、経典にも書かれていない。  これを今、迦葉に伝えた」 評唱  悟ったゴータマも、随分勝手な振る舞いをしたも

無門関第五則「香厳上樹」現代語訳

現代語訳 本則  香厳和尚は言った。 「人が樹の上に、登っているとする。  口で樹の枝に噛みついている。手は枝を掴んでいない。  足も樹を踏みしめていない。つまり、宙ぶらりんだ。  このとき、樹の下にいる人が、『何故達磨は西からやって来たのですか』と問うてきたとする。  樹の下の人は答えを求めているのだから、答えねばならない。  しかし、答えようとして口を開いたら、たちまち樹から落ちて絶命してしまうだろう。  まさにこのような状況では、どのように答えたらよいだろうか」 評

無門関第四則「胡子無鬚」現代語訳

公案現代語訳 本則  或庵和尚は言った。 「達磨には、どういうわけで、髭がないのだろう?」 (※原文では達磨をやや蔑称を用いて呼んでいます) 評唱  参禅は実のあるものでなければならないし、悟りもまた、真の悟りでなくてはならない。  この達磨は、実際に自分の目で一度しっかりと見て、初めて腑に落ちるものに違いないのだ。  しかし、「自分の目で一度しっかりと見ろ」と説いても、その途端に二者になってしまう。 頌  未だ悟っていない人の前で、夢を説いてはいけない。  達磨に髭が

無門関第三則「倶胝豎指」現代語訳

現代語訳 本則  倶胝和尚は、挑戦的な禅問答を挑まれると必ず、指を一本立てて見せた。  倶胝のところには、小僧がいた。  あるとき、この小僧に、客人が尋ねた。 「和尚は、どのような仏法の教えをなさるのですか」  小僧もまた、指を一本立てて見せた。  倶胝はこの話を聞き、刃物で小僧の指を切り落とした。  小僧は、痛みに泣きわめきながら、その場を立ち去ろうとした。  倶胝は、小僧を呼び止めた。  小僧は振り向いた。倶胝は、あろうことか、指を一本立てて見せた。  小僧は、そ

無門関第二則「百丈野狐」現代語訳

公案現代語訳 本則  百丈和尚が説法をしていると、弟子に混じって一人の老人がいつも聴きに来ていた。いつもは説法が終わるとその老人も帰っていくのだが、ある日、老人は帰らずにその場に残っていた。  百丈はこの老人に尋ねてみた。「お前さんは一体誰だね?」  老人は言った。 「はい。現在の私は人間ではありません。元は、釈迦もいなかったほどの昔、この山に住んでおりました僧侶でございます。  弟子の一人が私に『修行が成って悟りを得た人も、因果の法則に縛られるのでしょうか?』と訊ねてきた