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メタバースと直感と感情知能

今回は少し方向性を変えて、自己認知を別の角度から眺めることで新たな知見が得られるかどうかを試してみたいと思います。感情知能の基礎となる自己認知自己管理の力を高める具体的なアイデアを以前述べましたが、今回は昨今話題のメタバースをヒントにバーチャルとリアルを認識する脳の働きを哲学的に考察しつつ、その没入感と自己認知との類似性に触れることで感情を理解するアイデアを補足できればと考えています。


メタバースと没入感

メタバースはどの程度皆さんの生活に浸透していますでしょうか?ゲーム等で既になじみのある方もいるかもしれません。産業界においては、デジタルツインと呼ばれる手法により、場所、重力、環境汚染などの物理的な制約なしにあらゆるシミュレーションを可能にし、それらのかかるコストやリスクを排除したビジネスプロセスの構築が可能になりました。まだ、見たこともないという方も多いかもしれませんので、話題のゲームの動画を用意しました。ところで、現在の映像の解像度が 4K、8K、16Kと向上したときに、何を感じるのか考えたことはありますでしょうか?没入感という表現もありますが、まさに本物と見分けがつかなくなることが想像できると思います。没入感はどうして生まれるのでしょうか?脳が騙されているのでしょうか?

没入感と現象学

実は哲学はその長い歴史の中でその答えを既に見つけているようです。例えば、コップが目の前にあるとします。普通の感覚では、本物のコップが存在し、そこから反射される光を目が受け取ることで、コップが見えていると考えると思います。学校の理科でもそのように習うと思います。しかし、哲学では、むしろ逆方向に考えるそうです。それは、コップが見えてしまっているという否定しがたい脳の働きによる直感をもってして、その存在を確信すると解釈するそうです。現象学と呼ばれるこの方法論は、コップの存在そのものや物理学的もしくは心理学的にコップをどのように認識しているのかという仮説や理論は脇に置いておき、見えてしまっているという否定しがたい脳からの結果そのものを本質と考えるようです。音であれば、聞こえてしまっているという直感です。この哲学からの学びは、メタバースにおける没入感をとてもうまく説明できると思います。実際には、人間は五感を駆使してその確信を深めるわけですが、視覚に限れば、メタバースは本質的に本物の代替品になりえるのです。別の見方をすれば、ディープフェイクと呼ばれるフェイク動画の悪性度の高さを示しているとも言えます。

この Voicy の放送では、現象学の重要なエッセンスを非常に簡潔に解説していますので参考にしてください。

現象学と自己認知

実は自己認知にも似たようなことが言えると考えています。自己認知とは、自分の感情と向き合い、自分の内的な状態に注意を払い続けることで、脳が外界を認識する本質的なプロセスに目を向け、自己反省的な探求を深めていく行為です。例えば、もしあなたが怒っているのであれば、「怒っている」という否定しがたい自分の感情に目を向け、その感情を引き起こしたかもしれない自分の価値観や奥底にある記憶へ思いをはせることです。

外的な出来事は、その感情を引き起こしたきっかけの一つだとは思いますが、そこに因果律のような考え方を持ち出すと困難な状況になってしまいます。つまり、「Aの結果、私に怒りが生じた」という考え方は、バイアスとして機能し本質を見失う結果になることがあります。「コップがあるから、コップが見える」と考えるのではなく、コップが見えてしまっているという否定しがたいその脳の働きに注目するのです。感情も同じで、「Aの結果、私に怒りが生じた」のではなく、怒りを感じてしまっているという否定しがたいその脳の働きに注目します。一方で、「Aの結果、私に怒りが生じた」という気づきは出発点としては良いと思います。例えば、この A を深く掘り下げ、まだ認識できていない自分の価値観や忘れかけていた記憶と結び付けることができれば、自己認知の力は高まっていると思います。


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