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わたしの履歴書:vol.3(そして社会人)

◆帰国後、プロはまだあきらめない

 そして帰国し、各チームのプロテストを受ける準備をしていました。とは言うものの、収入がないと生きていけませんので、アルバイトをしながら個人練習をするといった感じでした。アルバイト先は色々やりましたが、家から近い工場のアルバイトでだいぶ安定して働くことができました。昼は仕事、夜は練習して、帰国して3年くらいはテストを受けては最終選考で落ちて。。。を繰り返していました。身体も大きくないですし、それを補う大いなる強みがなかったんですね。いよいよ年齢的にももうダメかなっていうのと、いつまでもアルバイトじゃマズイって気持ちも出てきまして、たまたまその工場でのバイト先(人材会社です)から社員のオファーがありまして、入社することになりました。少し下心があって、勤務先の工場はプロスポンサー企業だったので、運よく引っ張ってもらえないかと企んでましたが、そんなうまくいきませんでした。結局そこで社員になることで、プロサッカー選手への夢は自然と小さくなっていきました。


◆工場でモノづくりのノウハウを学ぶ

 なんとか正社員に苦労することなくなれたものの、仕事に対する心構えとか、社会人云々の知識はゼロに等しい感じで、ただただ言われるがまま仕事をしてた感じです。幸い作業していた請負先の工場は大企業でしたので、実際働く人たちは大企業のモノづくりのプロの人たちです。今でこそその知識は体系化されて身についていますが、当時は言葉の意味もわからずにOJTで学んでいったような形です。(※OJT:現場で体験しながら教える教育方式)

 そこで厳しい上司に出会いまして、製造のなんたるかを毎日毎日叩き込まれました。(直接の部下でないので、叩き込むつもりは多分なかったと思います。ただ単にイジメてただけやと思います。(笑))一時期辛過ぎて吐き気がする毎日を過ごしてたりもしましたが、腹立つなぁ、次はちゃんとやったるからな!的発想で行動し、論理的な説明の仕方や資料の作成方法、改善発表、日報やチェックシートの大切さや活用の仕方、なぜなぜ分析、PDCAなどありとあらゆるモノづくりのノウハウを吸収していきました。

 資料ひとつとってもどんなフォントが見やすいかとか、図や表の表現の仕方、結論や結果が何なのか端的に表現するとか、何十回もダメ出しされて相当苦しみました。特に標準作業書を作成するのは、製造ではマストな能力だと思うのですが、作業して頂く方の視点にたったもの作ることは簡単なようでなかなか難しかったです。そのころにパワーポイントも使えるようになりましたし、その資料を使って発表やプレゼンするのもけちょんけちょんにされまして、大恥をかきながらも回数をこなしていくしかなかったですね。誰でも最初はできないもんです。自分に言い聞かせながらこなしていましたが、同僚よりは上手くなろうと必死で頑張りました。

 そのおかげもあってか、そこそこ自分のスキルも上がってきまして工場長という立場も経験させて頂きました。いわゆる工場全体のマネジメントをするわけです。小さな経営者的な視点が必要になってきますので、まだまだ若造だった私にとっては良い経験でした。(今思うと全然マネジメントできてなかったと反省しきりですが)ただ、請負先の指示も聞かなけれないけませんし、所属の会社メンバーの中では中間管理職として板挟みで、だんだん疲弊するようになってきました。そしてとうとう請負先さんから、「業績が悪いので、自社社員で現場回すことにしたから、もうええわ」って請け負い契約終了です。あっさりしてるなぁと嘆きながら、当時一緒に働いていたアルバイト200人近くを解雇することになりました。(実質は契約満了ですが)そのときは本当に辛かったです。こんな思いは二度としたくありません。手続きが面倒とかでなくて、できるだけ次の仕事の斡旋やお手伝いはするものの、皆のネガティブな思考は相当なものでしたので、どうしても気持ちが落ち込んでしまします。一緒に働いてきた仲間を裏切るように形になってしまったことは大いに反省です。


◆退職を決意

 やっぱ自社の仕事でない人材関係の仕事は景気に左右される。自分の思った改善も先方の意向によるし、予算も割り当てられることもありません。やっぱり自社でモノづくりをしているような、自社で何かができる会社で活躍したいと思うようになりました。元いた会社をディスるつもりはないのですが、ちょうど自分のメンタルやモチベーション、不遇な給与待遇などもあり、退職を決意しました。本来入った会社を辞めることは負けた気になるので抵抗があったのですが、サッカーでいう所の「移籍」と同じだと思い、必要とされる所で働こうという意識に変わりました。アルバイトからでいくと19年ほど勤務させて頂きました。よくして下さった請負先の先輩方、今でも自分の考え方の基礎になっている部分がたくさんあります。本当に感謝です。


◆まとめ

 サッカーへの夢は本当はだいぶ悩んでいたのですが、練習量の圧倒的不足で厳しいなと感じていました。(自分が悪いんですが)そこでなんとなく入った会社で19年続けることができたのは、やっぱり地力の根性があったからなのかなぁって思います。働いていた現場が大手メーカーだったのが幸いでした。社会人教育を受けたわけではなかったですが、教育環境というか、学ぶ環境としては良かったんだと思います。昭和の考え方ですので、一度入った会社は一生いるもんだと勝手に想像していた自分がいたのと、どこか中途半端で終わってしまうことへの抵抗があったんだと思います。転職直前は人形のように病んでましたけどね。結局、一歩踏み出せたことが間違いではなかったと言えるように行動したことが良かったんだと思います。

さぁ、そして転職するのですが、次を決めずに辞めちゃいました!(笑)


vol.4に続く。。。


#自己紹介 #履歴書 #工場 #モノづくり #退職 #転職




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