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高齢出産をした私が思った事 ①生い立ち

自然妊娠の末に、もうすぐ41歳、ぎりぎり40歳という高齢で出産した。結婚も晩婚で37歳の時。彼氏がいなかった訳ではなく、10年以上、長いこと付き合っていた年下の彼氏がいた。

私の境遇から、結婚も出産も踏み出す勇気がなかった

単身赴任中の父と専業主婦の母の元に、三人兄弟の末っ子として生まれた。上から、姉、兄、私である。兄弟仲は、あまり良くなかった。私は大人しく引っ込み思案、そのくせに負けず嫌いなところがあり、いつも兄弟に勝てない事が悔しくて、すぐに泣いていた。姉と兄は泣き虫と遊ぶのを面倒に思ってか、いつも私を仲間はずれ。一緒に遊んでくれなかった、という記憶が今でも残っている。母だけが私の遊び仲間だった。

すぐに泣くからか、よくイジメられてはギャーギャーと泣いて母に助けてもらっていた。泣けばいいと、大人が助けてくれるとわかって、わざと大声で泣いていた。末っ子の特権、父も母も私には甘く優しかったように思う。我儘でずる賢い嫌な子だったのだ。

いつも母が助けてくれる訳ではない。
今思うと泣いても泣いても相手にされず、あやしてもらえなかった事に怒りや悲しみを抱えていたのかもしれない。
たぶん、これも原因で息子の泣き声が嫌い、苦手で、イライラしていた。泣かれると、自分を責められているようで居た堪れなくなる。
「私だって助けて貰えず苦しかったのに!」という思いがあったのだろう。

妹や弟がいなかったし、近くに小さな子供がいた訳でもなかったから、どう接したら良いかわからなくて、子供の事が苦手だった。

小学校3年生の時、父が突然亡くなった

脳内出血だった。突然の電話に母は泣き崩れ、私も一緒に泣いた事を覚えている。単身赴任先で2月の寒い日に突然亡くなってしまった。

のちに兄が「父が死んでも泣かなかった」という事を、とても気にしていた。兄は厳しく育てられていた。長男という期待もあったのだろう。私と姉には優しい父親だったから。兄は父によく怒られたり叩かれたりしていた。今思うと体罰、虐待だったのかと思う。そんな父のことが兄は好きではなく、亡くなった時に、もしかしたら、ホッとしていたのかもしれない。

母子家庭にはなったけれども、幸い極貧というわけではなく、なんとか暮らせていた。

兄は、イジメ、不登校、非行、家庭内暴力、統合失調症、アルコール依存症、引きこもりになり、家族を、私を、苦しめていく。

就職と同時に、家族を捨てるように、家を出た。
家族には頼らない、頼れない、絶対に迷惑をかけてはいけない、私はひとりで生きていく、誰にも頼れない、そんな思いだった。

父親がいなかったから、母に迷惑をかける事が嫌だったし、頼ってはいけないと、ずっと思っていた。私の性格もあるのかも知れないが、人に迷惑をかける事が、とてもイヤで、人に頼れなくなってしまっていた。

私は内気ではあるが好きな事を楽しめる性格。絵を描いたり、本を読んだり、芸人さんで笑ったり、好きな事があった。友人にも恵まれ父親がいない事への引け目や、恥ずかしさはあったが、いじめられたりする事はなく、辛い目に会う事は少なかった。姉もまた運動神経がよく明るい性格、皆に好かれるタイプだったように思う。

結局、父親がいない事が、家族を、とくに兄を狂わせた、と思ってしまう

女には母親、男には父親、のような存在がやはり必要で大事だったのだと。祖母は健在だったが、祖父はすでに亡くなっていた。末代まで祟られているのではないか?と心配するほどに女系家族だったのだ。

私には母がいた。実際には勘当された訳でもなく、母の事が心配だったから、母や姉とは会ったり連絡もしていた。私と母は絵画や写真などの趣味が合っていたし、母の事は大好きで、育ててくれた事への感謝の思いもあったし、幸せに暮らして欲しいと願っていた。

兄は母には、反抗心、憎しみしかなく、「なんで俺を産んだの」そんな事をよく言っていた。母を、家族を、拒絶していた。母は色々と手を尽くしていたが、兄を救えなかった。
助けてくれる人が、頼れる人が、心許せる人が、兄にはいなかったのだ。兄と一緒にいた不良たちも皆、家庭に問題を抱えている人ばかりだった。

離婚や諸事情でシングルになる人も多いと思う。その時に、親兄弟、親戚、血縁関係ではなくても、大人が、友人が、誰かが、真摯に接する事で、愛情を感じさせる事で、子供の心は変わるのではないかと思う。
誰かに必要とされている、愛されている、その気持ちが、人を育てるように思う。私には、それができなかった。

家族が向き合えなかった時に、誰が親身になってくれるのか?誰か助けてくれるのか?社会にできる事はあるのか?当時の私には、わからなかったし、今でも、わからないままだ。

そんな人に出会えていたら、兄の人生は変わっていたのかもしれない。昔は、近所のおじさん、学校の先生、親身になってくれる、身近な大人もたくさんいた。最近は、見知らぬ人との交流はできなくなってしまった。問題を抱えている家族は、社会からますます孤立してしまうように思う。

こんな境遇だからか、私は、家族という物に対して、あまり良い印象がない。

父親がいない事で男性不審。男性に慣れていないから、恥ずかしくて、緊張して、赤面してしまう。しばらくは、まともに男性と話せなかった。今でも年配の男性と話すのは、苦手だ。私にも色々と歪みができていた。

自分の家族を持つという事が、怖かった。

子供が苦手だし、子供ができて、兄のようになったらどうしよう。実家には頼れない、迷惑はかけられない、里帰りもできない、そんな中で、こんな私が育児なんてできるのだろうか?子供を持っても良いのだろうか?育児をしても良いのだろうか?

こんな私と結婚してくれた夫に感謝しながらも、夫とふたりきりで、子供を持たずに生活した方が、楽しい、ずっとそう思っていた。


ここまで、貴重なお時間を!ありがとうございます。あなたが、読んで下さる事が、奇跡のように思います。くだらない話ばかりですが、笑って楽しんでくれると嬉しいです。また、来て下さいね!