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メキシコでマシンガンを抱えた男たちに取り囲まれた話

大学時代、コロラド州に住んでいたときに何を思い立ったかメキシコのチワワ州までドライブしたことがあります。
自宅にネットもなければ携帯電話もない90年代の中頃に何を考えていたんでしょうかね。
友人には散々に 危ない、騙される、誘拐される、殺される、と心配されていたのですが若かったので考えなしに車に一週間分ほどの荷物を放り込んで出発してしまいました。今ならメキシコ、特に国境近くの治安を考えれば絶対にやらないと思いますが、当時はそこまで怖くはなかったのでしょう、行って帰ってきたんですから。

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チワワまでは高速を飛ばしてまっすぐ南下で15時間以上かかったと思います。
途中2回ほどトイレ休憩したような記憶がありますが、あまり詳しくは覚えていません。ただ道路脇に野良犬の死体が点々と転がっているのに胸がキューンと痛んだ思い出はあります。若いって恐ろしいですね、“行ってみよ!”と思って、スペイン語も話せないのにウキウキして行っちゃうんですから。

ちょっとやばいかな、と感じたのは国境を超えてからシウダッド・ワレス (Ciudad Juarez)という街を通るときに車の窓をちゃっちゃっと水で撫でて、 “Quarter!”(25セント)と叫ぶ子供が沢山いた時くらいでした。今はそれも値上がりして “A dollar!” になっているのでしょうか?

最初の3日くらいは平和に街をぶらぶらしたり美味しいものを食べたりしたのですが、チワワから、さらに南下してトレオンまで行く途中で

もう死ぬかな

と思う情景に遭遇しました。

夜遅い方が高速が空いているだろうな、と思い日が暮れてからチワワをでてトレオンまで向かう途中(今地図で確認したら5時間以上かかる道のりでした、何を考えていたんだ、自分)に遠くに火柱が見えました。道路の両脇に見えます。

近づくにつれ、その周りに人間が十人ほどずつ立っているのが確認できます。
高速なので曲がり道はなく、Uターンもできないのでそのまま火柱と人間に向かって車を走らせるのですが、もっと近づくと人間がマシンガンを抱えているのが見えてきます。
その瞬間ハンドルを握る手がサーーッと冷たくなるのがわかりました。

この人間は軍隊なのか、ゲリラなのか、ギャングなのか、見当もつかぬまま車のスピードを落としつつ果たして彼らに何を言えばいいのか考えていました。
私が話せるスペイン語は限られていますし、彼らが英語を話してくれるかはわかりません。

旗を振られ、車を止めると、窓を下げろとのジェスチャーと共にナンバープレートに目をやった男が

アメリカから来たのか?

と聞きました。そして大きな声で パサポルテ!と叫んだので、差し出します。赤い表紙の日本のパスポートです。

もうこの時点でちょっと覚悟していました。ここで死んでもおかしくない、身包み剥がれて殺されて、誰も私の消息をつかめず、行方不明になっても捜索もしてくれないだろうな、何故こんなところまで来ちゃったんだろう、と真っ白の頭で考えていたと思います。

男が2、3人駆け寄ってきて何か話し、向こう側の人間も何人か呼び寄せます。
そして窓から覗き込むと

お前は本当に日本人か、このパスポートは本物なのか、と聞きます。

そうです、日本人です、と伝えると男は目を大きく見開いてこっち側と向こう側のマシンガン人間、全員に大きなジェスチャーで こっち来い!! と声をかけます。

血の気が引き固まって動けない私に、車から出て火のそばに座れ、と片言の英語で誰かが手招きすると、何故かすぐにコーヒーが差し出されます。
そしてタバコを勧められ、座れ座れと促されるまま粗末な椅子に腰を下ろします。
みんなで座ってタバコに火をつけながら私の顔を覗き込み、パスポートを回しあい、何やら笑顔で話している様子から

あれ、殺されないのかな

と、ちょっとだけ警戒心が解けました。 でも何故?

私のタバコに火をつけ、コーヒーを飲め飲めと促すニコニコした青年(マシンガン付き)に ありがとう、と言うと同時に皆一斉にガヤガヤと話し始めます。

君は俺らが出会った初めての日本人だ
日本のパスポートを初めて見た
日本人はここら辺の原住民に似ているな
日本人はメキシコは好きか
美味しいものを食べたか

歓迎の言葉でした。片言の英語でなんとか私とコミュニケーションと取ろうと一生懸命です。
マシンガンを抱えたまま、お揃いのつなぎを着た若い兄ちゃんたちが満面の笑顔で私のパスポートを見てキャッキャっとはしゃぐ様を見てようやく

よかった、死なないんだ

と安堵しました。

訳の分からぬままにジェスチャー混じりで会話をし、タバコを2本吸い終わり、コーヒーがカラになったところで隊長の様な人が
トレオンまではまだ距離があるからタイヤの空気圧を見てやるよ、
とちゃっちゃっと点検してくれ、パスポートを返され

Drive safely, Japanese! と送り出されました。

バックミラーに見える火柱の影に大きく手を振っているたくさんの青年たちが見え、涙が出てきました。安堵もあり、恥ずかしいやら、嬉しいやら、バカバカしいやら、興奮やら、色々な感情が混ざったよくわからない涙でした。

一体彼らは何者だったのか未だわかりませんが少なくとも私にとっては悪い人たちではなく、むしろ想像も出来ない思い出を作ってくれた、いい人たちでした。

私が日本人でなかったら、日本のパスポートでなかったら、結果は変わっていたのでしょうか? それは知る由もないけれど、私が日本人だったことで彼らはいい暇つぶしが出来、私はメキシコの不思議な思い出が出来ました。

本当に死ぬ、と思ったんです。

だからメキシコの国境越えドライブはそれで最後になりました。
今回はラッキーなだけだったかもしれないと思い、一人で思うがままの旅行もこれで終わりになりました。

でもね、メキシコ、いいところでしたよ。

シマフィー

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