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Raspberry Beret: 赤い髪が歌う
極寒のミネソタ州で過ごした大学時代は偶然だけど音楽にまつわる思い出が多い。
以前書いたプリンスの思い出、デビューした友人、どちらもミネアポリスでの話だ。
大学3年の時の友人は留学生が多く、その中の何人かはプロで通用する様な音楽の腕前を持っていた。
ウッドベース、バイオリン、マンドリン、ウクレレ、弦がついていれば何でも弾けたドイツ人のマックス。
ピアノ、ドラムス、マリンバ、ハーモニカ、弦がついていないものは何でも上手だったフランス人のドミニーク。
フラメンコ、クラッシック、エレキ、などギターならどれも美しく弾いたメキシコ人のロヘリオ。
たまたま授業で一緒だった3人は自然に集まりセッションする様になり、しばらくするとダウンタウンのカフェバーで一緒に演奏する様になっていた。
みんな留学生なので就労ビザはなく、店から正当にお給料は貰えない。なので路上でやるように自分たちの前にギターケースを開き、そこに客からのチップを募っていた。
一応グループ名もつけないといけないので 適当にThree と決めた。お金のために音楽をやっていたわけではなく、例えばその日のピザやビールのお金が貰えればうれしいなぁくらいの軽い気持ちでやっていたので、チップは3人でその日に使い切り、時々私や他の女の子が顔を出せばアイスクリームやチキンウイングスをご馳走してくれた。
その頃私は髪を真っ赤に染めていて、赤い口紅をつけたり赤いドレスを着ていたり、赤いマフラーもしていたので彼らからは Red と呼ばれていた。
ちなみに全身赤ではないです笑。
ある日マックスとそのカフェバーで話していた時に3人で楽器ばかりだと飽きてくるのでたまには誰かに歌ってもらいたいという話が出た。彼らの出番は1晩に2回で、1回の演奏は5曲ほど。その中の1,2曲をボーカル有りにしてもいいという話だった。
酔っ払っていた私は何を思ったかそのボーカルに立候補した。
“面白そう、私が歌うよ” と軽く言ったと思う。
マックスも酔っ払っていたはずで、軽いノリで “いいね、じゃ明日練習しよう!” そう笑った。
次の日の授業に彼らはウッドベースにアコースティックギターとアコーデオンを抱えて現れた。
リハーサルをしよう!
はい、これ歌詞!と渡されたのはプリンス の Raspberry Beret と Little Red Corvette だった。私をRed と呼んでいたので色の歌を選んだ、とロヘリオが笑い、授業後に外の芝生に移動して彼が古いジャズのようにアレンジした2曲を聴かされた。ロヘリオが歌をのせていたがとても上手だったので彼が歌えばよかったのに “男3人だと見てる方もつまらないから”という理由で いいよ、シマが歌えば、となった。
冬が長いミネアポリスも5月になってようやく気持ちのいい風が吹くようになり、外で音楽をやっていた私たちの周りにも人が集まって来る。なんとなく野外ライブのような雰囲気になり、さっき渡された2曲を何度も繰り返し練習する私たちに拍手や口笛をならしたりする学生たちもいて、その場はたった2曲を中心に和んでいた。プリンスはみんな大好きなので最後にはあちこちから歌う声も聞こえていた。
それから6月末にそれぞれが留学を終え帰国するまで、そして私が他の州の大学に転校するまで、木曜の夜はThree + Red としてバーに出た。彼らは月曜日も演奏していたがその日は Three – Red として出ていた。
もともと彼らはプリンスのフォークやジャズアレンジを演奏していたし、それにボーカルを加えて音の修正をするくらいでよかったので4人でのレパートリーは6-7 曲になっていた。
自分は添え物くらいのつもりだったし、客も聴いているような聴いてないような店だったし、何しろ楽器の3人が恐ろしく上手で例え私がトチったところでダメージもないような状況だったので全く緊張もなく楽しいセッションだった。
まぁお酒もたくさん飲んでいたし、初日の芝生での練習の延長のような気持ちだった。
最後の夜はこの留学生が皆いなくなるということが口コミで広がったからか、友達が友達10人連れて来たのか知らないが、立ち見まで出る盛況だった。知っている教授の顔も去年のクラスメートの顔も見えて、初めて私は緊張した。
いつもよりたくさんお酒を飲んで緊張を紛らわせ、歌って踊って、最後は客と一緒に Raspberry Beret を歌って終わった。
12時を回り、駐車場に向かおうと4人で 最後の日も楽しかったなぁと笑いながら店の横にある扉から出ようとした時に、正面入り口で大きな歓声があがった。
何だろうと振り返ると団体が店に入るところで、誰かが
“おい、プリンスが来たぞ!!本物のプリンスだ!” と叫ぶ声が聞こえた。
その瞬間私たちは顔を見合わせて駐車場までダッシュした。
何故だかわからないけど、4人とも自分たちがプリンスのカバーをしているのを本人に知られたくない・恥ずかしい、ととっさに思い、逃げるようにそこを出た。
車に乗り込んでエンジンをかけてから まさか本当のプリンスじゃないよね? とドミニークが言った。
違う、違う、絶対違う、とみんなで否定してそのまま家に帰った。大体プリンスが立ち寄るような高級なバーではないし近くには彼がオーナーのクラブもあるのだからプリンスのわけがない。
翌週の月曜は期末試験だった。試験直前に私たち4人の顔を見たクラスメートのギャビーが
あなたたちが出たすぐあとにプリンスが来て、ライブが終わったのが残念だと言っていた、と教えてくれた。それを聞いた私たちは微妙な顔をしたと思う。
論文形式の2時間のテストをさっさと切り上げて外に出た私のところに3人も加わり、みんなで寝っ転がってタバコを吸った。
テストには全く集中できず、適当に答えを書いて出てきた私たちはギャビーが言ったことは冗談だろう、という結論を出し、あいつのせいでテストが散々だったと笑った。
直感で逃げ出した自分たちが逃したかもしれない幸運を後々悔やまないためには、それしか方法がなかったので、そうした。
3人とはそれ以来連絡を取っていない。
誰も偉大なミュージシャンになったというニュースは聞かないので、予定通りマックスは医者に、ドミニークは実家のホテルを継ぎ、ロヘリオは夢だった牧場でも経営しているのだろう。
そして私はまだアメリカにいて、予想も予定もなかった歴史の教師をしている。髪は赤くもなく、ところどころ白髪も見えてちょっとビビる。
もうすぐプリンスが亡くなった4月21日から5年。
彼が亡くなるまでは当時を思い出すことは稀だったのに、それ以来この時期になると 彼らもやっぱりあれは本当だったかもしれないと思い、自分たちの行動をちょっと悔やんでいるのかな、と若かった自分たちと赤い髪の毛を思い出す。
シマフィー
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