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海外の活字難民が行き着いた先

モミさんの “私と怖い話のこと”を読んで思い出したことがありました。

もう15年ほど前ですが、長い休暇でマレーシアかタイかの美しいビーチに旅行に出かけた時に手持ちのまだ読んでいなかった日本語の文庫本を持って行ったことです。
貴志祐介さんの “黒い家” でした。

*いろいろ出ている様ですがこの表紙だったと思います。

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ビーチで傘の刺さったカクテルを飲みながら、白い砂浜に寝そべってパラソルの下で読む本、ワースト1のような選択です。素晴らしいホラー小説で、怖い話が好きな人には絶対読んでほしい作品です。ですがビーチに持っていくのも憚られる様なおどろおどろしい表紙で、2日目にはそれを剥いで薄黄色のむき出しで持って出ました(そうしてでも読む)。別に怖い本を読みたかったわけではなく正直それしかなかったので読んでいたのですが、ゾクゾクのブルブルで今思えばこの休暇の思い出は照りつける太陽やヤシの木ではなく、その下で険しい顔をしてホラー小説を読んでいる(であろう)自分の姿です。

わたしは移動中に窓の外を見ると自然に文字を追い、知らぬ間に電車の中でつり革広告を隅から隅まで読むし、レストランでは飲み物のラベルも知らぬ間に全部読んでいます。レシートも前を歩く人の背中のロゴも店先の旗も読みますが、面白いものにときめくまでは、頭の中で消化しているわけではなく、目で追うだけなので単なる暇つぶしです。

今はインターネットがあっていいなぁ、と思うのは先日書いたようにレシピを探すときだけではなく(なんでも手作りの話はこちら)、読みたいと思った日本語が好きな時に読めることです。

“読みたいと思った”というのは切実で、日本国外ではきちんとした日本語を読める(それもタダで)機会は非常に限られ、手に入るものは読みたいものではないことの方が多いのです。

大きい町の図書館・大学の図書館で日本語の本
大きな町で貰う日本語のフリーペーパー
日本に帰国した時に持ち帰った文庫本
日本人の知り合いと交換した本

きちんとした活字(日本語)を手に入れるには努力が必要で、それでも読みたい日本語に巡り合うことは稀です。
フリーペーパーはほぼ広告で、町のお役立ち情報や流行のスイーツなど情報は限られ、図書館や手持ちの本も無限にあるわけではないので大体同じ本を何度も読み返し、知り合いの日本人と小説などのテイストが合うかもわからないのです。

Note と知り合って本当に良かったと思うのはそんな90年代の活字難民だった自分を思う時です。自分の好きな言葉使いで、興味があったり新しかったり共感できたりする記事に巡りあい、そのクリエーターさんの新しい記事を読むことが出来るのはかつて同じ文庫本を10回も20回も繰り返して読んでいた自分にとっては天国の様なものです。

レビューやオススメの本、音楽や映画を紹介していただけるページは自分と好きなものがかぶると“選ばれし者!”笑の様な気分になるし、新しい本や映画を友達に教えてもらっている様なワクワクな気持ちになります(モミさんいつも面白い本の紹介ありがとう)。みなさんの書く綺麗な楽しい日本語の記事を毎日読めて、新しい世界を見たり、郷愁に浸ったり、知識が増えたり、笑ったり、泣いたり・・・noteという活字難民キャンプはいいとこです。

“好きな作家“ときかれてもピンとこない自分にとって好きな文体で、言葉のチョイスで、トピックで、面白かったなぁ〜と思える記事を書いてくれているたくさんの皆様に感謝です!

いつもありがとう!シマリスはもう活字難民ではないです、イヤッホー!

シマフィー





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