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エンヤは歌う、心臓は止まる


随分前になるが心臓の手術をした。
カテーテルの先にカメラがあり、それを太ももの付け根にあけた穴から静脈にいれ、心臓まで送りそれを見ながら何か切ったり貼ったりするらしい。

すーぐ終わりますよ、大体20分くらいです。あなたが一番最初の患者さんで、その日はあと5人同じ手術をします。前日に問診をした若い医者はそう言った。

人生のほとんどをこの病気と過ごし、もう治らないものだと思っていたのに、私が国外をぶらぶらしている間に医学は進みその面倒な病気は完治できる確率が限りなく100に近いものになっていた。
医者の言い方だとわりとありふれた病気でみんなじゃんじゃん手術しているようだ。
20分なんて歯医者で座っている時間よりも、髪を切る時間よりも短い。

安心させるためにそう言ったのか、本当に簡単な手術なのか、真相はわからないが20分で終わるほどなら万が一のことはあるまい。入院も3、4日で好きな物を食べていいと言われたので菓子パンを何個かとグミやら飴やらを持って病院に行った。

婚約者の彼は仕事があるし親は他県にいるので、明日早朝の手術に向け一人で電車を乗り継いで向かう。“行こうか?”という彼らをいいからいいから、簡単ですぐ終わるから、となだめたのはみんなに来てもらったらあまりにも仰々しく、もしかして万が一があるかもしれない、と願掛けのような気持ちだった。

次の日朝早くベッドに乗せられカラカラと送られた先には3人の医者がいた。みんなで手術するらしい。ほどなく麻酔をかけられたが局部麻酔のため頭はしっかりしている。医者が話す声も聞こえるし目をぐるぐるまわすとだいたい何があるのかは見える。

彼らはモニターを見ながら手術をしていたが、私はバックに流れるBGMを聴いていた。エンヤのオリノコフロウだった。
それからしばらく、あれここもかな?こっちも見てみようか。んんー、どうかなぁ。などと会話を進める医者たちの話し声を聞いているうちにに不安になった。

簡単で20分で終わるんじゃないんか?

もしかするとやばい状態なのかもしれない、でも怖くて聞けない・・・誰も私に話しかけないし、意見も聞かないのでこのまま寝転がっているしかない。
と、またオリノコフロウが聴こえてきた。アルバムが一周したのだ。
もう確実に20分で終わる簡単な手術ではない。

昨日問診の時にあれやこれや書類にサインをしたがちゃんと読んでなかった。どこかの一文に “もし死んでも病院を訴えません”という誓約があっただろうか。

その後あれやこれやと頑張っている医者の声を聞いていると、彼らを信じるとか、うまくやって欲しいとか、手術が成功してほしいとか、そんな願いは消えた。
とにかく死なないでこの部屋をでたい。病気は治らなくても生きていたい。

オリノコフロウはもう3回も聴いた。

まだかな、もうそのへんでいいよ、また今度やりなおしでいいよ、と静かに心の中でせかすわたしに医者の一人が言う。

ちょっと難しい箇所をやりますんで、いったん心臓止めますね!

ん?? と思うまもなく、血液中に何かを入れられ体が砂を入れられたように重くなった。そして次に目が覚めた時に手術は “おわりでーす。お疲れ様でした” と明るく終わった。
エンヤはまだ歌っている。

医者の一人が “午後に手術予定だった患者さんは全員明日にしてもらって〜”と看護婦に大きな声で言った。もうお昼ご飯の時間だった。
自分の手術に手間取ったため、もう全員手術する時間がないんだな、申し訳ないな、とちらっと思った。

カラカラと運ばれる途中、研修医や看護婦にも聞いてみたが誰もがニコニコするばかりで、一体自分はどのくらいの間死んでいたのかは誰も教えてくれなかった。

エンヤの歌声がどんどん遠のき、聴こえなくなったときに心底ほっとした。


もうエンヤを聴かなくてもいい。これから先もう二度とエンヤを聴かなくていい。


シマフィー

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