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I Recall, Therefore, I Am

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山あり谷ありの海外生活。今思えば毎日が自分を作る・伸ばすチャンスの場でした。チャンスをつかんだこともあれば、逃したこともある。そして今振り返ってやっと”あれがチャンスだったんだ”… もっと読む
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#アメリカ

私という私の”作品”

Noteを始めてよかったなぁと思うことは多いのですが、その中でも自分にとってギリギリセーフで間に合って良かったな、と感じるのはこれまでの人生を振り返って思い出や生活の断片をなるべく本当のバージョンに近い形で文字に残せることです。 ギリギリセーフというのはこの歳になると忘れてしまうような小さな出来事、何度かしか会えなかった人々、忘れるためにわざと思い出さなかったあれこれが、まだ割ときちんとした形として記憶に残っているからです。 自分の人生のイベント(になったもの)を時系列に

母から私へ:Care Packageの中身

九州の南の田舎で育った私が東京の大学に進学した時からごく最近までずっと年に何度か母から荷物が届いていた。 中身はその都度色々で、電話で話すたびにあれが食べたいこれが欲しいと言えばそれを詰めてくれるし、時にはどこどこでこれこれを買って送ってと指定することもあった。わがままにアレやコレや頼んでいたが、日本には帰れないのでしょうがないよね、とも思っていた。 結婚してからは私の欲しいものだけでなく、夫にも届いていたので荷物は倍だ。 日本語では普通に実家からの荷物、と呼ぶが英語ではc

グラデーションフェチ

最近気付いたが自分はたくさんの色が並んでいるのを見るのが気持ちいい。 レインボーカラーで並んでいるのもニヤニヤするし、ランダムに、でも何かしらの規則で色が並んでいるのを見ると和む。 美しく明暗のグラデーションで並ぶ何かを見ると心からスッキリする。 アクセサリーやアイシャドーは使わずとも箱を開けるだけで気分がいいし、工具でもセーターでもお茶ですら並ぶと可愛らしく見えるのはもうフェチと呼んでもいいのではないだろうか? カラフルなグラデーションを見ていて、過去に置いてきたボーイ

日・米・中3カ国またにかけたA-ha!

アメリカでの博士課程の途中で、どうにもパンクしそうだった私は、あんまり何も考えずに中国で英語教師の職を見つけてアメリカを出た。 1年のつもりで来たけれども、結局は5年以上も中国に住んだ。 その暮らしの中で、些細なことだけれど頭の上にピーンと電球が光るような 💡はーーーーそうかーーーーー💡 と、点と点がつながる一瞬が何度かあった。 一昔前に流行った A-ha体験のようなものだ。 最初は中国語をまだ本格的に学ぶ前(そこらへんの自分の話はこちらへ)。 街をぶらぶらしている時

中国で日本人の私が歌うアメリカ国歌

中国の大学で英語を教えていた時にアメリカの国歌の話になり、その流れで生徒たちに懇願され次の週の授業で私が歌うことになってしまった。 1クラスでの話だと思っていたのに、当日は周りのクラスも集まり、先生や生徒や職員も含め80人ほど教室にぎゅうぎゅうに入っていた。 そもそも国歌を歌って欲しいと言われた理由は、その当時の中国ではまだネットは広く普及しておらずほとんどがインターネットカフェなどでの限られた使用で、外国の情報が制限されていた(であろう)せいで、皆きちんとアメリカの国歌を

His name is Prince, the One and Only:小さい大きな思い出

プリンスと聞いてまず誰が思い浮かびますか? 英国のプリンスチャールズ、ディズニーのプリンスチャーミング、星の王子様のリトルプリンス。アル中さんは高見沢さんが永遠のプリンスですよね。 そしてミュージシャン、Prince Roger Nelson その多彩な音楽・エンターテインメント性で”プリンス”というジャンルを確立し、ありとあらゆる試みの先頭を切り常に第一線にいたのはまさに王子の貫禄でした。 たまに出るテレビではそのシャイな一面やジョークいっぱいの話しぶりが人間味に溢れ

役に立つ英語:誰も教えてくれなかったあの言葉

ウンコという単語は学校でも英会話教室でも習いませんでした。さらには”なんて言うの?”なんて友達に尋ねたりしたこともありませんでした。馬鹿馬鹿しいと感じる方もいるかと思いますが私の実体験からこの記事を書いています。 留学して一年ほど経った頃に寂しさのあまりペットショップで見たチワワを買ってしまった私がその2週間後に彼を連れて初めて獣医さんに行った時の事でした。 ワクチンを打ったりした後にお医者さんに Next time you come, please bring a st

行ったことある場所・国の印象を1行で表してみよう!

ほんの一部ですが、これまで行ったことのある国や都市を思い出しながら、1行で印象を語ってみたいと思います。思い浮かんだ順に書きますので行った順番とかでもないです笑。 もしよろしかったら日本でも国外でも、行ったことのある場所の印象を1行でコメントしてください。 *注意!!あくまでも私の印象で、しかも何年も何十年も前の印象で、季節やら天候やら出会った人やらに左右されている主観的な1行です!ご了承くださいませ。どこの国もたくさんいいところあります。 何かの参考になるでしょうか。

バスの中:過去と今とこことあそこと

アメリカ、ミネアポリスの大学に通い始めた頃はバス通学でした。 雪深く、極寒の冬が長く続く街でしたが、特に気にもせず毎日氷点下のバス停でバスを待ち、校舎まで・家まで5分ほどテクテク歩いていました。 車に乗るようになった今、思えばまぁよく文句も言わず鼻の中やらまつげやらを凍らせながらもバスに乗っていたなぁ、と感心しますが、バスは市民の皆さんの足であり凍った道を自分で運転するよりはずっと安全な交通手段だったと思います。 そんなバスの中で、一度だけ嫌な思いをしたことがありました。

初めてのアメリカは戦争で終わった

18歳になってすぐどこかの会社に斡旋されるまま3週間ほどのホームステイにカリフォルニアまで行ったのが、私にとってアメリカ初体験だった。 どこにステイするかは着いてみるまでわからず、今のようにネット社会ではなかったので自分で知らぬ土地について調べるのも簡単ではなかった。 両親はどんな街のどんな所にお世話になるのか気になっていたのかもしれないが、私は初めてのアメリカ滞在に興奮していて、正直どんな田舎のどんな家庭でもいいと思っていた。きっとどこに行っても楽しい。 成田空港の集合

Do Anything: 捨てられた私の思い出の曲

不思議なことにミネアポリスに住んでいた時は音楽関連で楽しいことがたくさんあった。以前プリンスとの小さな思い出を書いたが、それもミネアポリスでのことだ。 ミネアポリスはシカゴほど大きい都市ではないがほどほどに大きく美しい都会で、自然だけではなく美術や音楽などの文化も大切にされていた。 プリンスの出身地だけあってライブハウスでも質の高いバンドが演奏していたし、カフェや大学構内のホールでもクラッシックからジャズ、ラップにゴスペルまで色んな音楽と触れ合える機会が山ほどあった。 そ

友人と縁を切る、ついでに幸せになる

職場に3人、とても仲の良い人がいた。 教科は違えど全員が教師で、歳もだいたい同じで、自然と固まることが多くなり、いつも4人で集まっては美味しいものを食べたり、音楽を聴いたり、ビーチでおしゃべりをした。採用時期はバラバラだったが私が一番早く、歳も上だったこともありなんとなく仕切り役として動いていたような気がする。(*アメリカ東で高校教師をしています) といってもグループのために何かを決めたりすることはなく、みなが集まりたいといえば家を開放し、誰かが何かを食べたいといえばレストラ