見出し画像

中国で日本人の私が歌うアメリカ国歌

中国の大学で英語を教えていた時にアメリカの国歌の話になり、その流れで生徒たちに懇願され次の週の授業で私が歌うことになってしまった。
1クラスでの話だと思っていたのに、当日は周りのクラスも集まり、先生や生徒や職員も含め80人ほど教室にぎゅうぎゅうに入っていた。

そもそも国歌を歌って欲しいと言われた理由は、その当時の中国ではまだネットは広く普及しておらずほとんどがインターネットカフェなどでの限られた使用で、外国の情報が制限されていた(であろう)せいで、皆きちんとアメリカの国歌を聴いたことがなかったからだ。現在はアメリカの高校や大学で勉強する中国人留学生は本当に大勢いる。留学生のほとんどが中国から、といってもいいくらいにいる。
だけど、20年前はそうではなかった。みなアメリカやヨーロッパに留学することに大きな憧れがあるけれど、そう簡単に学生ビザはおりず、本当に優秀か政府にコネのある人間くらいにしかそのチャンスはなかった。それは生徒に限らず、先生たちも同じように留学に憧れを抱いていた。英語部の主任教授は文化大革命の時代に畑の中の作物に隠れてラジオを聴きながら独学で英語を学んだ女性だった。

その大学には外国人教師は二人おり、一人はれっきとしたアメリカ人のおじさんであったが、“私は歌えないよ〜”と辞退されたためにアメリカ人ではない私が歌うことになった。

日本で国歌斉唱を耳にするのは多くないような気がする。私が高校生だった頃は日教組の偏った思想の先生も多く、国歌や国旗は入学式・卒業式にあるかどうか、の微妙な扱いだった。

アメリカ人は国歌も国旗も大好きで、野球やバスケットのゲーム前には必ず国歌を歌う。プロだけではなく中学校や高校や、地域の草野球でも歌う。
なのでアメリカに長く住んでいた自分は、国歌を歌ってくれと言われた時にあまり考えず いいよ、と言ってしまった。
そう答えてから、キチンと最初から最後までStar Spangled Banner を聴いて、やばいな、こりゃ、と焦った。
キーの幅が広く果たして下から上の音まできちんと出るのか疑わしい。
そして思っていたよりも長い(歌詞もちゃんと覚えてない)。
さらには力強い歌なので声量も必要だ。

うーーん。なるほど国歌斉唱にはちゃんとした歌手や歌の得意な生徒が呼ばれるはずである。

1週間後には歌わねばならないので私は必死に練習した。
お風呂で、散歩で、ベランダで練習した。
アメリカには長年お世話にはなったが、国歌には特に思い入れもなく、意味や歴史的背景もこの機会に知った。
中国に出向く前は長い間住んでいたので、第二の故郷と言っていい程だったのかもしれない。だけど、やっぱりこれは“よそ様”の国歌であり、自分が“君が代”を歌うような神妙な厳かな日本人の誇り溢れるような、そんな気持ちにはならない。
とにかく間違わず音を外さず綺麗に歌いたい、それだけだった。

そして当日、伴奏もなく、私は一人で教壇に立って国歌斉唱した。

教室は音もなくシーンと静まるなか、声を張り上げてマイクもなしに歌った。
顔が見えると恥ずかしいやら緊張やらで絶対にトチるとわかっていたので、最初から最後まで目を閉じたままの国歌斉唱だった。

最後の4小節 the land of the free, and the home of the brave でちょっと薄眼を開けると、そこにいた中国人英語教師とアメリカ人教師のリチャードは胸に手を置き、忠誠を誓うポーズをしていた。アメリカ人ではない私が歌うやっつけの国歌にだ。

それを見た瞬間に涙と笑みが湧いてきた。そして生徒たちからの盛大な拍手と口笛とエールを受けたときに、この国で自由の象徴であるアメリカ国歌を歌うことの重みがやっとわかった。下手くそだったけれど、この時私はアメリカを代表して歌った気分だった。

その後国歌を歌うことはもうないだろうと思っていたが、不思議なことにその13年後、アメリカで中国人の生徒を前に、私は君が代を歌うことになった。
その話は、また次の機会に。

シマフィー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?