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起こった事を信頼したら。

数日前、ある雑誌のアンミカさんの「出会った出来事を信頼する」という言葉のことをつぶやいた。

彼女のおっしゃることはわかる。
美しい心がけだと思う。
それでも、いまいち実感できなかった。


ここ一年くらいだろうか。
母のことを、わたしに毒素を植え付けた人だと認識するようになった。

既にその前から、この人どうしてこんなに底意地悪いんやろ?という違和感をうすうす抱いてた。

母により植えられた歪みのうえに成立していた人生の上に立ち、その影響で身体まで歪んでしまったわたしが、今ようやく矯正できる時期に来ているのだと思う。


アンミカさんのお言葉のほか、いろいろな場面で、許す、受け入れる、認める、自分が変わる、という意味の数々のお言葉が流れてきた。

と同時に、魂がどうしても嫌がること、無理だと足掻くようなことまで「信頼」しなきゃいけないの?とも感じた。

色々と考えているうちに、どうしても変えられないものは受け止めるしかなく、どうしても変えたいことは変え、無理なことからは逃げればいいと心持ちが変わっていった。


親とは、どう頑張っても変えられないものだ。

これでも、うん十年以上、人生の分岐点で邪魔してきた母に抵抗することなく、嫌な顔せず自分を変えて受け入れてきた。

一時期は親のために貯金し、親に負担をかけず、親が喜ぶ娘として生きてきた。

親がしてくれた事には感謝している。
自分の誕生日には、お母さんは体が悪いというのにわたしを健康に生んでくれてありがとう、などとわざわざ電話していたくらいだ。

それに、あの両親だったからこの道になって、出会えたものもあるのだと納得もしていた。


そう、風の時代になる前のわたしは、自分でも泣けるくらいに素直でいわゆる親孝行な娘だったのだ。

  




それが、母の毒素を知ってしまった。

それまでのわたしが、アンコンシャスな支配に陥っていたのか親ブロックやバイアスにかかっていたのか。

風の時代になってから、やりたいことをやって楽しく暮らしている人たちを目にしていたら、ふと「なんでこんな人生なんやろ?」と考えはじめ、自分の選択がことごとく母に潰されていたことに気がついてしまった。

さらにそこから遡りあの人のことを振り返ってみたら、一人娘のわたしに対して、毒気のある言葉を呪縛のように吐き出していたのをあらためて思いだしてしまった。

あの人の本質は、プライドが高くて甘ったれで、困ったことは誰かが自動的に助けてくれて当然という思考だ。

わたし自身のことを否定することはなかった。
だから、私の自尊心は守られていた。
その限りでは、わたしを可愛がってくれていた。
ただ、それ以外のことを否定しすぎていた。
わたしが選ぼうとした道も含まれる。
わたしのことを思って、心配して、ではなく、自分の思い通りにしたい、見栄をはりたい、ただそれだけで。

だから、あの人を許せなくなった。
それが親としての態度か?違うだろう。


これ以上、あの人にわたしの時間を費やすことはするまいと決めた。

わたしが本当に解放されて自分の人生を生きるには、あの人にこれ以上わたしを捧げてはいけないのだ。


反抗期らしい反抗期がなかった、だから今が反抗期だ。

人からどう思われようとも、正しい反抗なのだ。

あの人とわたしの間のことは、わたししかわからない。
他の人がいくら綺麗なことを掲げたところで、わたしの人生に責任なんて持っちゃくれない。


とはいえ。

そういうネガティブなエネルギーは、良いわけがない。
反抗することでまた囚われる、そして、疲れる。





ここ数日、あらためて、何でいろいろとこうして来たんやろかと振り返っていた。

親の制限下にあったとはいえ、精一杯自分の思い通りにする努力はしてきた。
何かをしようとした時、結果が神がかっていたことはいくつもある。そのことに感謝もしてきた。


そうしているうちに、なんとなく、「起こったことへの信頼」の感覚が曖昧だけど掴めてきた。

すると、色々な予定が動き始めて、時間を割くべきことがはっきりしてきた。

前から心がけてはいたけど、会いたい人には会うべきで、不愉快な思いしか残さない人とは関わるべきではない。
人生の残り時間を思えば、余計なことをしている時間はもったいないし、必要な繋がりだけあれば充分だ。
だいたい、明日、いや数分後だって生きている保証はどこにもない。


「好きに生きればいい

一度きりの人生なんだから」

そういう言葉をかけてくれる人もいる。
その人にとっては思いつきの言葉にすぎないけれど。


──── そうしたら、今日のこと。

うわぁ…っ!!という出来事が流れてきた。

誰かが「これをやるために生まれてきた」「自分はこれしかできない」「このことで誰かの役にたてれば」と口にするたび、それほどはっきりと打ち込めるものがない自分はどうしたものかと思ったりしていた。

今日のその出来事で、血が騒いだ。
滾った、と言ってもいいくらい。

ああそうかこれなんだよやっぱりこれなんだよ自分が無理なくやれてしかも誰かの役に立つかもしれないのはこれなんだようっすらそうかもなとは感じてはいたけどやっぱりこれなのかやるべきなんだよなやっていいんだよなうまくいくのかわからないけどやってみていいことに違いない自分にしかできないことを、
    
と、体中に生きるための血と言葉が脈々と巡りまくった。


それを教えてくれた人のことを、つい数ヶ月前までよく知らなかった。
でも、この人に会わなかったら、きっと気づけなかった。
どうしてこの人に出逢ったのだろう、っていうか、厳密には数年前から知ってた人なのに、今なのだ。

この人の示すものに、どうしてわたしはこんなにも引き寄せられるのだろう、

と辿るっているうちに、なんかもう、「全部繋がっている」、とすとんと腑に落ちたのだ。


だから、母を親に持ってよかった、ということじゃない。
そういう、noterさん受けしそうなことを言いたいんじゃない。

急に、母のことがどうでもよくなった。

基本的に距離を置くスタンスは変わらない。
ただ、もう、そのスタンスでよしとして、これ以上もうあれこれ考えるのは終わりにしよう、と悟ったというか。

たまたま友達と、親について話したことも影響している。
人に話すことで認識して、受け入れたのだと思う。


母から否定されても、その中で自分なりにどうするかを愚直に手繰って生きてきた。
信頼という積極的な感覚は持ってなかったとしても、結果的に、そうやって繋げてきた。
受け入れはできていたのだ。

親に抗わないことが良いわけではない。

大切なのは、その状況の中で、どうしてゆくか諦めずに探して、見つけ出したり受け取る力を失わないこと。
そして、自分の感性を鈍らせないように暮らすこと。







今日もまた、人には伝わらないことを書いてるなぁと思う。
もしもここまで読んでくれた人がいて、モヤモヤしていたら申し訳ない。
それは謝る、謝ります。ごめんなさい。

その分、ここじゃないところで、あなたが望むならばあなたのことを密かに救いたい。
ご縁があれば。

もう、母に関する文字なんかじゃなく、
そういうことを、わたしは書きたい。



その辺の川辺のお花
ぼかしすぎだろうか、背景……




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