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あるイタリアンとの別れ

そのお店を知ったのは、コロナ禍になる少し前のこと。

家から自転車で15分ほどの所にある、一軒屋の小さなイタリアンレストラン。
経営しているのは、わたしと同じくらいの年頃のご夫婦。ご主人がお料理を作り、奥様がお料理を運んだりお皿洗いやお会計をしている。

店内の照明は、黄色味が目と心にすごく優しい。

穏やかな色使いの可愛らしいお皿。

お料理は何をオーダーしても美味しい。
外食してもたいてい『 普通に美味しい 』という程度しか感じないわたしが、そのお店は『 どれを食べてもめちゃめちゃ美味しい 』という感想を抱くほど。
このお店の味なら、自信を持って人にオススメできる。

イタリアン、だけどなぜか置いてある飲みやすい日本酒とブラジルワインも絶品。

木目の綺麗な壁に、ご夫婦にご縁のある方々の写真やご主人のイタリア修行時代の写真、奥様お手製のタペストリー、お客さんがご夫婦のために描いた店内の風景のイラストなどが飾られている。
どの方向を眺めても、色々な方から慕われているご夫婦のお人柄がわかる。

程よく落ち着く、でも程よく気分が高揚する。
席に座って店内を眺めているだけで、自分までご夫婦のように人付き合いが上手くなったような、ポジティブな気分になれる。
居心地が良いので、ひとりで食事をしていても淋しく思うことは全然ない。
そこへ、お料理を運んでくださる奥様と何気ない会話をするだけで、さらに元気になれる。
そんなお店なのだ。

そのお店をとても気に入り、本格的やコロナ禍に陥るまで、時間ができれば足を運んだ。

ご夫婦と交わす言葉と情報は次第に、確実に増えて、わたしの顔も覚えていただけた。


そうしてわたしが馴染みの客の一員となれた頃、世の中がコロナで止まってしまった。

そのお店も、しばらくお休みを余儀なくされた。
そして、あの頃の飲食店の多くと同様に、そのお店もテイクアウトを始めた。
そのテイクアウトを求めて、わたしは自転車を何度か走らせた。

超余談だけど、このお店をモデルに小説を書いたことがある。
その時使った設定は、いつかまた小説を書く機会があったら使いたい。


そんなふうにこのお店と関わり始めて、今年で5年目になる。

ご夫婦とは、相変わらず心置きなく話ができる。
お料理は、相変わらず美味しい。


ただ、ひとつだけ大きく変わったことがある。

それは、お店がとっても栄え始めたことだ。

もともと、地道に人とのご縁を大切にしながら営んでいた、小さなお店。

それが、今となって、ご縁がまたご縁を呼び大きく花開き、たくさんの人がお店を訪れるようになった。
大口というか、大人数での会合に使われることは以前からあったけど、最近ますます増えたようだ。
より多くの人がこのお店のお料理に舌鼓を打ち、ご夫婦とお客さん、あるいはお客さん同士の会話で賑わい、常に笑顔が溢れる空間となった。

お店にとって、それは当然喜ばしいこと。

でも、大口の予約で貸し切りになることが増え、わたしが行ける時には利用できない日が増えた。

今ではわたしよりも頻繁に足を運び、ちょっとひがんだ言い方をすればいつも居座っているようなお客さんが現れた。
その一方で、ご夫婦とわたしと言葉を交わす時間は削られた。お店に行っても、前はもっと話をする時間があったような気がするのに。

先日も、ちょっとお久しぶりに訪れたものの、やっぱりお店は混んでいて、ご夫婦はてんてこ舞いだった。
そして、少しお客さんがはけた頃には、ご主人はカウンターにずっといる常連のお客さんと話を始めた。
奥様とお会計でちょっとだけ話す機会はあったけれど、次に来店したお客さんの相手があるためか、わたしとの会話は早々に打ち切られてしまった。

淋しくはあるが、お店は客商売、当然の成り行きだと思う。

ただ、その時、ふと思ったのだ。


『 なんだかもう、わたしが来る所じゃないんだな 』と。


これはわたしの一方的な受け取り方で、もちろんご夫婦はいつでも歓迎してくださることはわかっている。

何か嫌なことがあったわけじゃない、もう二度と行かないわけじゃない。
でも、当分は行かない気がする。

わたしがひとりで食事しても、たいして売上に貢献できないしな、という気持ちもある。
ちょっと特殊な場所にあるため、一緒にこのお店に行く友達もわたしにはいない。




以前は、ひとりでゆっくりと食事をしつつ、ご夫婦の手が空いた時に言葉を交わし、それで満足したお店だったのに、どことなく居づらくなってしまった。
お店に行けるタイミングも合わなくなった。

これは、不仲になったということではない。
きっと、お互いに必要としなくなったのだと思う。


コロナ禍以前には、わたしの方がそのお店を助けるような情報を提供したこともあった。
けれど、今ではわたしなんかよりもっと有意義な話をして楽しく過ごす常連さんが断然増えた。

わたしも、そこのお店で過ごすことが至福で癒しの時があったし、今でも感謝しているけれど、他の場所での過ごし方を求める時なのだと思う。

合う合わない、良い悪い、どちらが上か下かの問題ではなく、お互いのいるステージが別々のところに変わったのだ。


けれど、繰り返しだけど、別に不仲になったのではないし、お店に不満が生じたわけでもないので、わたしが心から行きたいと思ったら、またお店にうかがう時はやってくると思う。


きっと、付き合い方って、その時々で、相手により色々なのだ。
一時いっときだけ盛り上がって引いてゆくこともあれば、細々と長く続くものもある。
完全に断ち切れるものもあれば、切れたと思ったものがまだ繋がっていることもある。

そのお店とも、親しくしてくださってありがとう、と感謝をこめつつ、今はきっと距離を置く時。
むきになって通うというのも何か違う。



ご縁があれば、必ずまたお会いできるでしょう。


いつまでも、その場所にお店のあることを祈りつつ………

ごちそうさまでした。
美味しかった、そして、楽しかったです。




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