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あたたかい潮の流れに乗っている

タイムラインに、自分の書こうとしていたようなnoteが流れてくる。以前だったら、気落ちしていた。それ私が書こうとしてたのにとか。それって、なんて無茶な注文。早押しクイズじゃないんだから(笑) 

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その根底には自信のなさがあったと思う。私は自分にオリジナリティや個性を過剰に求めていた。他人にはない考えを持っている人、先に発表できた人が優れているのだと思っていた。

(ちなみに「思っていた」と私が過去形で書くとき、完全な過去である時はほとんどないと思う。これは過去形で表現してかっこつけたいからで、今もそういう私も残ってはいることは補足しておく。)


自意識/エゴ/個性

私は自他共に認める自意識過剰な人間で、noteには他よりも自意識の高い人が集まっているように見える。勝手に(少しだけ)同類だと思っている。

自意識って、厄介。「自分の」「自分が」「自分は」って、いっつも考えちゃう。自分と他人の線引きが強めになる。自分ならではの考えを捻り出そうとしたり、他人とは違うと言いたがる。私は、社会で成り上がる(笑)のはもう諦めたけど、自分の個性だけは諦めていない.... みたいなところがあった。いや、だからまだあるんだってば。

でも、本当は個性へのこだわりなんて捨てていいんだ。

だって、ことさらにこだわらなくても、どうせみんな違うもん。すでに体が違うし、過去も違うし、感じる脳細胞も違う。似てることも多いけどちょっとは絶対に違う。すでに違っているだけ違えばいい。あとは同じでいい。無理にその差を引き伸ばそうとしなくていい。ぜんぜん、そのままで十分だよ。


むしろ、かぶせていきたい

「私もちょうど同じようなこと考えてた」というようなつぶやきやコメントをnoteでちらほら見かけて、やっぱりそうなんだと思って、この「かぶる」件について話を記事にしようと思っていたら。サカエ コウ。さんが記事にされていて、これには笑ってしまった。私たち(二人じゃなくて全体的に)もう本当につながっている。

内容が被るなんてことは気にしなくてもいいのだ、と言い聞かす。

と書かれている。私も本当にそう思う。

だって、あんまりにもみんなの思っていることと、私の思っていることはつながっていて、派生していて、似たり寄ったり。実はそれって、まるで悪いことじゃないんじゃないか。と私は思っている。

例えば、このnoteはちゃこさんのnoteへの共鳴で生まれたのだと思う。

共鳴って、自分の中にも似ている何かがあったからこそ成り立つ。以前ブログを書いていた時だったら、これら2つとも記事にはできないと思ってしまっただろう。私はようやく、自分と似ている人たちとの共鳴を楽しめるようになってきたのかもしれない。


noteは、価値観の変化の奔流を可視化し、加速している。

ここでは、他よりも言いづらいことも発信できる。これってすごいことだ。今までの当たり前を、苦しさから言葉で切り開いていく。かっこつけてはいられない。切り開くしかない。このままじゃ生きていけないから。

どんどん膿をだしていって、新しい水を取り込んでいく。そうやって新しい流れが徐々に流れ込んでくる。新しくてあたたかい潮の流れに乗りながら、日々たゆたっている。今私の周りにいる人は、同じ潮の流れに乗っていて、もちろん一人一人の波長は違いながらも、なんとなく同じ方向へ向かっている気がする。


「100匹目の猿現象」をご存知ですか

幸島という島に住む猿の群れの一匹が、偶然川の水で芋を洗い出し、その後川が枯れてしまったりで、海で洗い出した。塩味がつくので芋が美味しくなる。その島の猿はその行動を真似するようになり、みんな海で芋を洗って食べていた。不思議なことに、遠く離れた島に住む猿も、同時期くらいに海で芋を洗って食べる行動が観測されたという。

良いと思えることを、ある一定の数の者たちが共有しあうと、
人知を超えた拡がりで伝わっていく
この現象を、百匹目の猿現象と名付けられ、
いろんな学者さんたちが実験と観測を繰り返しているとのことです。

(上記はハフポスト記事から引用)

なんとも不思議な話。島と島は猿が泳いで移動できるような距離ではなく、なぜかとしか言えない。この現象は猿以外にも例は観測されていて、確かに存在しているんだろうと思う。


この記事を読める人は私と同じ島にいる猿同士だから、99人目までの人ということになる。私たちがこうやって毎日、ちょっとずつ違ってちょっとずつ同じような感情、感覚、思いつきを話していると、どこか遠く離れたところで100匹目の猿にあたる人が今、同じようなことを考え出しているかもしれない。そしてその流れは急速に加速していくのかもしれない。

私自身、この地球上のどこかの群れの新しい感覚に共鳴して、今の考えがあるんだろうな。私の考えのようで、私の考えじゃないみたいな。なんだか私たちって、大きな目で見れば、体の中の一つの細胞みたいだな。思いつき、直感、インスピレーションってそういうことなんだろうな。

それって、私一人の個性なんかよりもずっと興味深い気がしている。


*ひかむろのヒトコマ*
ペンデュラムを知らない人が、このグリーンアメジストのペンデュラムを買ってくれた!なんてミラクル!



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