ペンネームと自意識の葛藤がとまらない
「名前を変えたい」衝動に駆られることがある。自意識の問題だと思う。この話、自意識強めの人じゃないと面白くないかもしれない。
※自意識弱めのみなさんへ:後半はnoterのみなさんのペンネームについてのお話を紹介しているので、そっちは見ていってくださいぜひ。
以前の私はその衝動に従って名前を変え続けるうち、本名の私が行方不明になりかけた。noteで本名を名乗る前は、私の下の名前で呼ぶのは親兄弟や大昔の親友、大昔に付き合った人、くらい。
名前をいじってちょっと強い雰囲気になろうとしたり、かっこいい雰囲気になろうとしたり、してもどうせ私は変わらない。だから、
私は私から逃げないために本名しか名乗らないことにした。
そういうことになっていたはずなのに。
私はまたしても名前を変えたくなっている。
なんとなく、本名からすこしだけズラしたくなった。
簡単なのは「あゆみ」の3文字にすることなんだろうけど、noteの検索で見つからなくなってしまうので、それは嫌だった。
illyさん、理想かも。「illy / 入谷 聡」親しみやすいし、本名も入っていて信頼度も高い。しかもアルファベットと漢字で字面もいい感じ。(突然例に出して失礼しました)
名前のことをTwitterで呟いたら、ありがたきレスポンスをいただいた。
おゆみさんかぁ。おまゆさんとお揃いでかわいい♡うれしい♡
あゆみむ。これ、すごくいい。語感、キャラっぽくてかわいいし、あゆみでもあゆむでもある。みたいな感じがゆらぎを感じさせてすごくいい。
何より、私は「◯◯って呼んでください」と自分であだ名を名乗るイタい奴だったので、誰かが考えてくれた名前ってなんていうかもう宝物のよう。
本名の良さ
これはアイコンの顔出しと同じだと思っている。自然と信頼度が高くなる。責任をもって発信しているんだなと思うし、潔い。「落合陽一」だって「西野亮廣」だって、ホリエモンも「堀江貴文」だし。社会に出してる名前がちゃんと自分と接続している感じで、達成感あるし、かっこいいじゃん。
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ペンネームの良さ**
親しみやすい気がする。あだ名っぽければなおさら。本名よりも信頼度は低くなるだろう。でも今の私、そういう社会的信頼って求められてなくない?論文でも事業計画でもないんだし。ペンネームの方が、リアルな私の過去とか人間関係とか立場とか、関係なく書ける気がする。短歌とか、だれも私の本名求めてないよね?
....あれ、でも「穂村弘」(歌人)って本名だよね? なんで本名なの?
それでも変えたいの?
私のアカウント名は本名で、名前ももともと平仮名だ。昔不満はあったけれど、今はとても気に入っている。
でも。もっと内面の話を書きたい。実際のところを書きたい。そう思った時、本名が掲げられていることが苦しい。何かが何かに突きつけられているような、素っ裸で道端に晒されているような。
別に関心を持たれるほどの裸でもないんだから。自意識過剰だよね。
と、自虐的な誰かが囁いてくる。
そんな葛藤をしながらも、会社を倒産させてしまった話は書ききった。弁護士さんや管財人の方がネットで名前を検索してくるかもしれない。それでも手続きには特に別状はないだろう。
もし親が検索してあの記事を読まれたら、また強制的に家族会議が開かれて、親の価値観の元へ戻ってきなさいと諭され続ける可能性が高い。それでも、今別のことで忙しいしネットに疎いし、検索なんてしないだろう。
そう思っているけれど、うっすら苦しいものは苦しい。
根本的な問題
でもさ、今更本名から何か別の名前に変えたとして。今この記事を読んでくれてる人にはバレてるよ、どう見ても原口あゆみだってこと。
それに、誰も「このエピソード書いたのおまえだろう」って区役所とかに突き出さないよ?
それでも変えたいの?そもそも本名じゃないからって何を書いてもいいって言うの?
いやむしろ、本名でだって何を書いたっていいはず。誹謗中傷とかする性格でもないし、名前変えたって変わらないのでは?
芸能人だって本名でやってる人いるよ?
また、なんて呼んだらいいの?って、みんなを困らせるよ?(今たまに困らせてる。みなさん、どの名前で呼んでもらっても私は嬉しいです!)
葛藤は終わらない
結局のところ、noteを書いている人で、普段の人間関係や過去と切り離して書いている人が私は羨ましいんだろう。
「あゆみむ」になっちゃいたいよ。
でもね、もし仮に私がアカウントをやめて、一から誰にも言わずにペンネームで始めたとして。どこかで絶対にリアルの私と繋げたくなっちゃうだろう。それがわかってるから...意味ねえよっていうか私の葛藤はもうしばらくは終わらない。
みちるさん(=私のペンデュラム:問いに答えて右や左に回る振り子)にも何度も聞いてる。原口あゆみのままにする、で回すと右回り(YES)、あゆみむにする、だとどちらにも回らなかった。結論、「あゆみむ」に変えることには意味はない。
あゆみむ / 原口あゆみ
確かになんの意味もなさそうだ。平仮名づくしでバランス悪いし。
...もうやんなっちゃうよね。持て余す自意識。でも手放せないから。
苦しいといいながらもそれより良き選択肢もなく。私はこの本名でしばらく行くんだと思う。また違うことを言い出したら生暖かく見守っていただけたら幸いです。
ペンネームにまつわるnoteのご紹介
そんなことを考えていた折、ペンネームについて書かれたnoteが更新されていて、どれも興味深く、素敵でした。更新順にご紹介させてください。
「私」よりもシンプルで純度が高い「満島エリオ」さんのお話。
「岩代ゆい」になりたかった「私」のお話。
「ひなこさん」とは別人格に感じることもある「私」のお話。
「僕」とけして交わってはいけない「神谷京介」さんのお話。
「いちとせしをり」さんと”一緒に書いている”「わたし」の話。
みなさんのnoteを読むとよく分かる。
人の普段表面に出てきているのはほんのひとつまみ。もっと奥にいる”何か”、もっと日常にまみれていない”何か”、もっと先にいる”何か”。「これが私ですよ」と普段出している部分以外にも、人間には奥行きがある。
そんな”何か”をちゃんとすくい取って表現してあげるの、素敵だなあ。
嗚呼もう、みんなのペンネームが羨ましい...。(どうしようもない人)
誰でも「スキ(♡)」できます。「読んだよ」って軽い気持ちで押してくれたら嬉しいです^^ サポートはnoteを書くカフェ代に使わせていただきます。ありがとうございます。