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遠雷

遠雷が聞える。

鈴虫が鳴いていたと思ったら急に鳴き止み、虫たちも眠る時間かと思ったら遠雷だ。これから一降りくるのかもしれないね。夜の雨も又好きだ。自然の音ってなんであんなに落ち着くんだろうね。だから逆に静か過ぎるゆきふる夜が身の毛がよだつほど苦手なのだけれど。

…苦手過ぎてひらがなに逃げた。漢字のゆき、って、the ゆき という感じがして、嫌なのだ。因みに今調べていたら雪の下のヨって、もともとは彗星の彗なんだって。ほうき星という別名のとおり、「穢れを払って、綺麗に清める」っていう意味が雪にはあるらしいよ。どうでもいいけれどそんなの。ゆきふるくらいなら穢れていたい鹿田だ。

ともかく、窓とカーテンを閉めると一気に湿度が猛り、どっと喉元から汗が噴き出る。締め切った部屋に情緒も何もないから躊躇いなくエアコンのボタンを押した。

怠惰極まる鹿田だ。

夏要素の掃けた世界では、どれだけ快適に過ごすかが優先事項の上位に繰り上がる。それにしても遠雷が気になる。遠雷は好きだけれど近雷は嫌いだ。そんな言葉が辞書に載っていないのはみな雷が苦手だからなのだろう。それでいい、いらんものは全て辞書から消してしまえ。消しゴムで消えないならペンで塗りたくり、それでも無理なら破り捨ててしまえ。え、ほかの文字はどうするって、そんなの知ったことか!何にでも犠牲はつきものだ、腹を決めろ!

鹿田です、よろしくね。

明日が休日ってだけのモチベーションで書きだしたからいつもの如くネタなんて一つもないのだけれど、このまま今日は漢字ネタで語ってしまおうかという魂胆もありだが、ま、雷様が頭上に来るまでにはサクッと書き終える程度に、いつもに増してラフなnoteになるだろう。

けれど、だれも鹿田に期待などないだろうから楽なものだ。逆に期待されても困る。期待されたとしたら果たして一体何を期待されたのかと一晩中考えることになってしまう。明日は休みだが朝ーで用がある。だからだれも期待しないでおくれね。

と、自意識過剰になったところでぽんと、膝を打つ。ステテコからむっくり顔を出した膝小僧に、蚊がとまった訳ではない。鈍い鹿田は瞼にとまられても気づかないくらいだ。

この今日の、なんだか滑りの悪いブラインドタッチ。そう、潤滑油が足りないだけの話ではないか。エアコンが効いて多少暑さは落ち着いてしまったが、あれを飲めば体温も若干上がり、夏の夜の演出に一役買うだろう。

と、やっとうまい言い訳が見つかった所で鹿田はビールを持ってくる。明日は休みだし、ダイエットも成功したわけだし、2本くらいええじゃないかええじゃないか♪

カプッと

乾杯

そういえば先日は「面白きことは良きことなり!」の記事にたくさんの方からスキを頂き有難かった。本当にありがとうございます。月並みですがモチベーション上がります。その祝いも込めれば、この1杯は相当の意味ある1杯だ。いつもより味もよく感じるよ。

たまに、極たまにシナプスが良くつながるときがあるのだ。実際そう周りの人からも良く言われる。「普段は抜けているのに、たまにいいこというよねっ」って。しかし元来の抜け具合を本人も、さすがに承知していない訳ではないから(無知の知程度はあるのだ)、毎回毎回上質の記事を上げようなんては端から考えていない。

noteのタイトルだって『夏バカ鹿田、夏を語る』だからね。でもほんと、ゾーンって程ではないけれど気持ちいい程思考が回転するときがあって、そんな時書いた記事は実は自分自身も何回も読み直している。いい記事書けたじゃないかってね(笑)

それもモチベーションだ。僕は昔からカミングアウトしている。文章エゴイストだと。自分の文章が好きなんだ。でも今に満足しているという訳じゃあもちろんない。そのためにも前回も語ったようにアウトプットとインプットの周期が自分の中にちゃんと刻まれている。まあ、元をたどれば同じだからね、文章を読むか、作るかだ。なぜそれを好き好んでやるようになったか、なってしまったかも前回の記事の通りだ。

森見登美彦さんの、「夜行」が届いた。これもじっくり読もうと思うけれど、やっぱり僕は京都が舞台の、京大生の、そして森見さんの文体が炸裂する作風の小説が好きだな。もちろん、そのうち読むと思うけれど、夜行はですます調なんだよね。

逆に今「四畳半タイムマシンブルース」と併読している「きつねのはなし」はである調なんだけれど基軸が怪談だから静かなストーリーテラーだ。ま、四畳半夜は短し~調で怪談書かれても、中途半端で困ってしまうけれどね。とにかく今は森見さんの出版している本を片っ端から読みたくて仕方ない。

と、話すと、鹿田マニアな方ならお気づきだろうか?鹿田、おい、中村文則さんはどうしたと。

はい、ご多分に漏れず前述の『村上春樹事件』になりそうなので、途中でやめました。ってのは冗談で、いや、半分はそうなのだけれど、中村文則作品の3分の2は実際読み切ったのだよ。でもね、もう、喉までこみ上げてくるものがあってね、一時中断している現状です。

それには鹿田の猛烈な飽き性ってのも関連している。でも中村さんの作品は森見さんの作品と対局だからね。だから僕が森見さんの本に出会えたのは、もしかしたら中村さんの本を読んでいたからなのかもしれないのだ。だから、結果オーライってことで。

元をたどれば大江健三郎だって、自選短編集残り1/3をあまして積んでるからね。しかたないしかたない、鹿田だもの。

いつの間にか雷はどこへやら去ってしまった。かといって夜も深まり虫も再び鳴こうという気力はないらしい。今鹿田の耳に聞こえるのは時折近くの道を走る車の滑走音と、エアコンの排気音、それから自分のキーを叩く音だけだ。静か。締め時を失ってしまったではないか。

何か色々風呂敷を広げては、そのまま大の字に眠るような醜態をさらす予感があるが、予感があるなら抗わず、そうしたいというのが一致した意見だ。鹿田と、僕の。

てなことで、酔ったのでねる。


おやすみ。

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