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山の静かな温泉で

温泉に行きたい。銭湯でもいい。かぽーんと湯桶を鳴らして「うあーー」と心の底からの声を漏らしたい。行かなくなって早2年もたつなぁ。

と、休日の午睡明けに寝ぼけ惚けたふりをしつつまたまたりと語ってゆく。緩い風が吹いており風鈴が心地よく鳴っていたのだが、西側の窓に垂らしたせいでカーテンを閉めなくてはいけない始末となった。なら別の窓につけかえればいいだろとツッコミは来るだろうが、面倒なのだ。ただでさえ、寝ぼけた頭なのに。

森見登美彦さんの『四畳半タイムマシンブルース』を虚ろな瞳で読んでいた。斜視になると咎められつつも寝転んでする読書の幸せはやめられない。それで銭湯の話が出てきたものだから、ああ、この暑さに湿った体を心地よい水風呂で流したいと物語傍らそっちの妄想を膨らませていた。

僕はもともと映画の方から入ったので、それを今度は文章で準えて読んでいるのだが、所々設定の改変もあるので飽きずに読むことができている。お決まりの登場人物も見受けられる。ビダルサスーン!の話題になった所でこれはnoteを書かずにおれまいと不明な理屈でしゅたたたとPC前に着席した次第だ。あのシーン、映画でもとても好きなんだよね。

ところで『四畳半タイムマシンブルース』を読んだことによって改めて気づいたこともある。

映画の方は舞台は香川県の善通寺市という場所だったのだが、もちろん森見版は京都なわけで。けれどふと、映画の方を想像してみると古き良き街並みや、あのビダルサスーンを手に入れて喜ぶシーンは奥に何か和風の塔が建っていたのをみた。だから舞台は変われどさほど違和感なく頭の中で切り替えることができる。…当たり前か。

なのできっと四畳半の方を読み切った暁には、今度は頭の中で想像した京都の風景と映画の善通寺市の風景の違いや重なるところなど考えながら再び映画版の方を鑑賞することは、かなり面白いかもしれないぞっ!と。

なお今年、2度ほど見ているが。

残った力を絞り切らんとばかりに、蝉たちが向こうの山で鳴いている。ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ…あとは聞き取れないがもう一種類ほどいそうだ。そして鳥の鳴き声。ピーヒョヒョー、ピーヒョヒョー。何の鳥だかはわからない。その夏の生き物声を聴いていると思い出す。数年前一人で山奥の温泉にいって、日帰りでごろごろと過ごした誰もいない大広間のことを。

冬の、寒い日の温泉はもちろん気持ちよいのだけれど、汗が滴り落ちる夏の温泉も、これまたさっぱりして気持ちがいいのだよね。そしてひとっ風呂浴びて、瓶ビールを頼んで、持参した本を大広間の畳に寝転んで読む贅沢。またいつかあんな夏が過ごしたいなあと思っているのだけれど、果たしていつのことになるやら。いつかはできるはずだから、気長に待てばよいのだろうけれど、問題はその贔屓の温泉は、高齢夫婦が営んでいるということだ。あの御年まで経営に携わっているという事は、きっと後継者はいないのだろうと夏バカな鹿田でも察せられる。

それもまたよかったんだよね。静かな静かな温泉で、聞こえるのは自然の音だけ。…と、受付のじいさんが見ている大音量の高校野球。それも不思議と、自然の音に馴染んでいたのだ。夏の風物詩の所以か。

大広間の真ん中を陣取り、大の字になってその天井を薄めで見つめると。ここが本当の夏の真ん中なんだって気がしてくる。どの方向からも夏の虫たちの声が響き、四方にあるカーテンがふわりふわりと、まるでここの時間経過の遅さを現わすように、波のように揺れるんだ。ガタの来た扇風機はずっと独り言を放っている。風呂上がりの火照った体に、気持ちのいい山の風が吹き抜けていく。贅沢にも僕はいつも、そこで半分以上の時間を寝て過ごした。…いびきの大きい鹿田だけれど、誰もいないんだもの、いいのさ。

そうして何もなく贅沢に過ぎていく時間を、僕はもうそろそろ忘れそうで怖い。部屋に閉じこもっていることの有意義は、自由の中にあって有意義なのに。それでも藻掻き新境地を目指すしかないこのある意味挑戦的な時代に、果たして僕は大なり小なり意味を見出すことができるだろうか!

なんて、最近考えている。

僕は前向きだ。前日の嫌なことは翌日には全て忘れることができるほど前向きなのだ。結局今だって日々の8割は笑って過ごしている奇跡的なプラス思考だ。かといって悩みがないわけではなく、逃げたり、考えたりたり、できそうなことから挑戦をしているごく普通の人間だ。

生まれた意味をと思う。生まれた意味をと問われれば、その意味という前提に人はなにか成し遂げなくてはならないと思う。けれど、遂げた後の達成感や満足はきっと悩みと同様、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのだ。そしたらまた次の何かを見つければよいのだけれど。

でもそれでも人は行き詰まる。息詰まり行き詰る。不幸があるからその落差で幸福が分かるのが人間なのだ。ずっと続く幸せに、ずっと続く不幸に人は行き詰まる。

ああ、温泉に入りたいなあ。僕はどうして温泉に入りたいんだろう?ほっとしたいのか、現況から少し離れて俯瞰したいのか、それとも逃げたいのか、刺激が欲しいのか。刺激が欲しいなあ

カラスの行水のプロと人を言わしめる鹿田だが、今日は多少長風呂をして、何か人を笑わす手段を企てよう。日常に刺激を与える、ちょっとした変化を作ろう。大きく考えるから到底無理に至ってしまうのだ。身近なところから。今に合う何かはきっとそこら辺に隠れているはず。狸が化かして隠しているなら、こちらから化かし返して盗むのみだ。鹿田音頭でもつくって職場で披露してみようかしら。

そんな感じだ。

ではまた。

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