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RRR(インド映画)を見て考えたこと。※観た人とネタバレ気にしない人対象です※~徒然話

 皆様、鹿人(仮)です。

 今回は、少し趣向を変えて、久しぶりに劇場にて映画を鑑賞してきたので、そのお話をしようかと思います。作品はRRR(アール・アール・アール)です。2022年10月に日本でも公開され、ご存じの方も多いと思います。そう、肩車のやつです。

※以降に物語の詳細も考察に含めるため、すでに観られた方とネタバレ気にしない方がご覧になられることを推奨しています。
そして、ご存じの方は、あらすじの部分を読み飛ばしていただければと思います。※


 それでは、少しだけ物語のおさらいです。

 時は1920年代、イギリスの植民地支配下にあったインドが舞台。デリー近郊での話になります。主人公は二人の屈強なインド人、ビーム(アクタル)とラーマです。ビームは妹をイギリス人のインド総督スコットによって奪われ、それを奪還することを誓います。(そして、アクタルを名乗りながら素性を隠し潜伏。)対してラーマは、警察としてスコットの配下にありながらも解放戦闘のために武器を手に入れることを目的としています。

両者の目的の最中、二人は出会います。列車事故の爆発に巻き込まれそうになった少年をともに助けます。それをきっかけに友情を育みますが、実はラーマにとってある任務がその目的達成のための近道となっていたのです。それが、反乱分子を捕らえること。つまり、妹を奪還しようとするビームを捕らえることだったのです。

 物語は、こうした友情と大義が宿命のように交錯し、クライマックスへと向かっていくのですが、その中で激しくぶつかり合うアクション、インド映画らしい情熱的なダンス、そして美麗な映像技術がそれを彩り、非常に魅力的な映画となっていると感じました。

物語の構造分析

 ここからは、少し哲学的というか文学的な理解として、内容について考えたことを書いていこうかと思います。まずは、簡単に物語の構造を分析してみたいと思います。

 まず、この映画は、非常にわかりやすいシンプルな対立構造があると思います。それが、

 イギリス(支配)vs.インド(抵抗)


となるでしょう。その中で、ラーマとビームの対立、つまり、

 大義(警察として昇進する=武器を得る=解放戦闘を優位に進める=インド解放)
vs.個人の目的(妹の奪還)


と分析できると思います。そして、主人公のふたりには、この事実を知らずに育まれた友情があり、

 目的vs.友情


の対立も考えることができます。こちらの対立については、物語に即して、もう少し深く考えてみることができそうです。

 まず、この対立を巡る葛藤について考えてみます。この友情と目的を巡る葛藤は、ビーム(アクタル)の正体を知ったラーマに先に現れます。彼はその葛藤に苦しみながらも、目的達成のためにビーム(アクタル)を捕らえることを決意します。対するビームは、信頼するラーマに自らの正体を明かし、妹を奪還するためスコット邸を襲撃します。この段階でビームに葛藤はないと言えそうです。

しかしながら、襲撃の最中、自らを捕らえようと登場したラーマ。おそらく、ビームには裏切りにも映ったでしょうし、その友情が本当ではなくただの利用だったのか?と疑うことにもなるでしょう。ビームは、結局目的のためにラーマと対峙し、妹のもとに向かいますが、目前で「妹の命を助けたければ逮捕され」ることを、ラーマに説得され逮捕されます。妹の背後には小銃をもったスコット総督の姿がありました。

 結局、ラーマはビームを逮捕したことによって昇進し、目的であった武器獲得に大きな一歩を踏み出しますが、ビームを逮捕したことに対する葛藤がさらに続きます。そんな中、ビームの公開処刑(民衆と総督夫妻の面前での鞭打ち)を担当することになります。刑の執行の当日、ラーマは職務を果たそうと、ビームを痛めつけますが、それに屈しないビーム。それを目にした総督夫人キャサリンは、より厳しい処罰を求め、棘鞭をラーマに手渡します。躊躇しながらも、目的のために鞭を打つラーマ。その中、ビームはまったく屈することなく民衆を鼓舞する歌を歌い続けます。それを目にした民衆たちが蜂起し、結局処刑は中断されます。ラーマは、ビームのこの姿を、村人たちのために戦い死んだ父に重ね合わせます。(武器を獲得することも父との約束だったのです。)そして、自分が間違っていたことを理解すると、ビームを助けることを決意します。

 ここまでで、ラーマの大義の中には、父との約束があったことがわかります。ラーマには、父とビームが、そして自分も同じように、目的のために戦う一人の戦士だったと思えたのでしょう。ビームは、ラーマにとって志を近くする仲間になったと考えられそうです。そのため、ビームを無視して大義を果たすことが難しくなった。つまり、大義として掲げていた目的の中に友情が入って来ることになります。この時点でラーマにとって、友情が目的の中に内包された、と考えることができそうです。その結果、ラーマはビームを助け、ビームが妹と一緒に逃げる方法を画策します。

 対するビームは、ラーマに対して不信感を抱き、敵として認識しています。物語はこの転換も果たせねばなりません。ビームと妹を助けることを画策したラーマでしたが、その実行の途中、スコットに気づかれてしまいます。その結果負傷しつつも、ビームのもとに向かいますが、敵として認識している彼から攻撃を受けます。そして、負傷したラーマは、ビームに破れとどめを刺されそうになりますが、友情を感じたのか、ビームはそれを止め妹と逃げ走ります。この時点で、ビームの中の葛藤が伺えます。

ビームは潜伏先で、ある人に助けられます。それは、ラーマの婚約者であり、ラーマの事情を知るシータでした。(それを信じるためのキーとして、ラーマが身につけていた首飾りをつけている、というのがあります。)シータから、事情を知ったビームはラーマのもとへ走ります。ラーマはスコットに捕らえられ命の危機に瀕していました。

 ここからのストーリーは省略しますが、友情を育んだ二人の対立とその対立の解消、それが鑑賞者に緊迫感を与えながらも、主人公二人に感情移入を果たす役割となっているように思います。すなわち、構造としては、

 友情vs.目的の提示と解消


 そして、更に大きな対立

 イギリス(支配)vs.インド(抵抗)


に向かって、二人が戦うストーリー、と言う事ができるでしょう。二項対立的なものが意識されながらも、それがより大きな対立に向かって結束されていくような、シンプルな物語の構造が読み取れると思います。


物語と美学のエスニック

 さて、以上のようなシンプルで理解しやすいながらも、鑑賞者を引き込むストーリーですが、ふと、西洋的な構造のフォーマットに、インド的な要素を詰め込んだ作品だな、と思えました。だからこそ、世界的にも売れているんだろうなと。つまり、西洋的なフォーマットにインド的なものを組み込んだからこそ、多くの人に理解できるものになっていると思いました。(ただ、ストーリー的にどういったものがインド的なのか、どういう哲学的前提を物語に組み込むことでインド的と言えるのか、という点はインド哲学をよく知らないので、なんとも言えませんが…笑)

 その点を踏まえると、私にとってはインド的なものは未知であり、他者そのものである気がします。しかしながら、インド映画特有の激しいダンスや、人、人、人のごちゃごちゃした中にもなにか美しさを感じる、という点では、他者であるけれどもどこかエスニックな美を理解しつつあるのかなと感じました。

戦闘と平和の脱構築?

 この物語は、アクション映画であり、イギリス列強の暴力に抵抗する、インドの戦いの物語です。この点において、暴力が激しくもどこか美的に描かれることは、納得するところにも思えます。しかし、暴力は暴力であることは変わりありません。現代において、(そして、同時代のガンジーにおいても、)それは避けるべきものでしょう。この点について、現代の文脈でどのように正当化できるのでしょうか。

 もちろん、それが創作的な意味で評価されることは正当だと思います。ストレスフルに据えられたイギリスの総督夫妻が、総督府と共に爆破され、主人公二人に倒されるシーンは、スッキリとした快感すら覚えます。そうした、よくできた物語に対して価値を見出し、エンターテインメントの一つとして楽しむこと自体悪いことではないでしょう。しかしながら、平和を愛し同和を求める中で、戦闘自体が忌避され、暴力が非難されることも十分に理解できることかと思います。

物語では、イギリスの支配と積極的な暴力性が印象付けられ、それに対する応報としての結末を考えることができることから、暴力に対抗する手段としての暴力は、私たちにとって正当なもののように思います。そして、和平が築かれていない中で、何よりも相手を牽制し、話し合いというテーブルに引きずり出すには、それが求められることは当然のようにあるでしょう。

 しかしながら、和平や平和はむしろ理念的なものなようにも思います。その理念が共有され、それを喜びとして、それぞれが享受するあいだ、そこに本当の意味での平和が実現するような、そういったもなのでしょう。それゆえ、そういった理念が持たれない限りにおいては、「万人に対する万人の闘争」は避けられず、常に戦いは意識されるもののように思えます。

 こうしたことを踏まえ、私たちはこの物語のような偉大なる戦いをどう受け止めるべきでしょうか?それは各人によって細やかに議論されるところかと思います。私自身は、平和の理念が何らかの仕方で共有されることを望みつつ、私たちの過去とありうる未来に対しての希望として、こういった勝利の物語を胸にとどめておきたいと思います。

まとめ

 以上のように、徒然にRRRについて長々と考えを巡らせてきましたが、一つ言えるのは、「面白い!」ということです笑

 同監督(S・S・ラージャマウリ)の『バーフバリ』や、『マガディーラ』も気になりますし、他のインド映画も気になります。また、インド哲学も勉強しながら、ストーリーとの関連性も考えてみるのも面白そうです。久しぶりに興奮の素晴らしい映画体験でした。

それでは皆様、ここまでご精読いただき、ありがとうございました!


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