親は子どもを全部わかっている でも子どももそれなりの年になると親がわかるようになるから

母親と口論。
母vs自分、審判三男。vsなんてよくないんだけどね、便宜上そんな感じ。内容は、自分がこの世界をどう思っているかについて。結論!多様性だからなんでもありだねってなったんだけど、しっかり1時間fights。

親は子どもを全部わかっていると思います。でも、子どももそれなりの年になると親がわかるようになるから、お互いわかった者同士(っていうのは自分の傲慢な視点なのかも)。鏡を見た自分を見ているみたいでした。

口論って自分の持っている価値観を相手に否定されるのが怖くて、だから相手を論破しようとする。傷つく弱さで間違いを認められないのって、人間らしいことだね。でも、そもそも数十年も生きた世界が違うんだから、価値観が違って当然。生きた時間、過ごした人間関係、身につけたスキルや処世術、持論も一つの価値観だから、理屈になっていれば誰に否定されるものでも、善悪があるものでもない。ただ、そうなんだ、で話が終わるものなのに、どうして人って自分の価値観で相手を”評価””説得””嫌悪”してしまうんだろう。立派だと思っていた親にも、自分にも、人間らしいところがありました。

ストレートな表現だけど、感情的に話している時の自分の話速、それと圧、それを親からモロに感じて、これは!大抵の人怖がるw。相手の土俵で翻弄される口論。でもその土俵で戦えたからわかった。回転数が違うと片方が摩耗する。それは遅い方が早い方を削る事もあるし、削れるのって冷静さや反省する気持ちで色々だけど、オーバーヒートは自分が壊れるだけなんだから、ヒートアップした回転数を意図して落としてみると、お互いに深呼吸がとりあえずできるよ。

この世の不思議なこと/もの/情報、どんな事も平たく受け入れる気持ちで体験してきた自分の”事実”は、どんな文献よりも発見と驚きが深いものでした。自分の事を全能だなんて烏滸がましいこと微塵も思わないけれど、それでもその体験をもってして、親の為になりたい、何かしてあげたいと思っていた時期もあり、でも、違うんだ。我が家にはそんな事を求められていない、でも言いたい、でも余計なお世話、反発。そんな事がわかってしまって、ならせめて弟には、まだ理解しなくても、頭の端に薄っすらでも、今日の事を覚えておいて欲しいな。やっぱり兄貴は頭がおかしかった、だとしても、今日の口論を糧になる刺激にして欲しいです。大切な弟だから。

正義は治外法権。
正義は特定の誰かを傷つける刃。
井の中の蛙、正義を叫ぶ。

おかしなことに、正しいことって、本当に求められていない。誰かを思って正しさを求める躍起な人がいたら、その優しさはすごく大切にしてあげたいけれど、それで傷つくのは優しい人だから、、、その躍起な情熱をやめろとは決して言わない。でもね、いい人と出会えるといいね。バランスが大事だよ。

樹齢を重ねた幹は乾燥してとても固くなるし、模様も刻まれていくけど、しなやかさを保つ水分ってきっと時代の刺激の事なんだね。潤いがなくなったら、きっと画になる硬さ=渋さを醸し出すかもしれないけど、それも多様性、どっちでもいいね。多様性、そしてまずは受け入れてみようかな。

口論を終えて、でも不思議、喜怒哀楽何もなく、あるのは、声出せたことへの満足感だけ。そもそも、相手を諭そうも、論破しようも、説得しようもないのですから。感情の振れ幅はあったけど、全てはお戯れ、言いたい事が言えただけで満足だったんですが、母と弟はどう思っていたのかな。もしかしたら負の感情かも、それは自分の通り魔的発声のせいで。そしたらごめんね。

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