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「学び」という言葉の魔力。
大人の「学んでいます」「もっと学びます」という言葉を聞くと、ポジティブな印象を受けると思うんです。頑張っているんだな。上昇志向がある人なんだな、と。
キラキラとしたイメージ。
一方で気をつけなければいけないのが、学習オタクにとどまってしまうことです。僕自身がそうだったので自戒を込めて言いたいことですが、「学び」という経過の美しさに魅入られてしまっては意味がない。
目的が自己成長だけにあるならいいと思います。たくさん本を読むことは大切ですし、多分野にわたって博学であることは、人間的な懐の深さを感じさせます。
でも…
目的がお金を稼ぐことだったら、「学び」によって出ていくお金が入ってくるお金と釣り合っていなければ本末転倒です。
僕らのようなフリーランスだったら、「学び」によっていくら技術を磨いても、仕事を獲得できなければ死活問題です。
誰が流行らせたのかは分かりませんが、SNSを開けば1日に一度は『自己投資は最高にコスパのいい投資』という言葉を見かけます。
それはそうだと思うけれど、どんどん言葉の本質が曲解されて、「投じる」ことに意味を見出している人が多いように感じます。
いやいや、「投資」なのだから回収しないと。
そもそも、なんのために自己投資しているの?
自分が学習オタク気質なので分かることなのですが(汗)、自己投資して学んでいるうちは心地良いんです。「やっている感」があるから。
心地良さを感じているうちは「学び」という言葉の魔力に魅入られてしまっていると思います。「みんなで一緒に学ぼう!」とかね。見ているだけで心地良い。
自己投資して痛みを伴っているつもりが、コンフォートゾーンを抜けきれていないんです。
本当の「学ばなければいけない」状況って、もっと苦しくて、切羽詰まっていて、心の中が焦燥感に満ちあふれています。
全然キラキラしていない。その行為に美しさなど微塵もない。
ジリジリすり減る通帳残高。今月は全然仕事が取れなかった。どうやったらもっと自分を知ってもらえるのか…焦り焦り焦り。
ぶっちゃけこのような状況では、学びに魅入られている余地なんかないです。あるいはキラキラじゃなくてギラギラしています。「こんなところで立ち止まってられるか!」と。
「学び」は手段に変わります。それ以上でもそれ以下でもない。
学校は必ず卒業するものですよね。先生だって卒業してもらうつもりで授業をします。留年して、いつまでも学校に居残られても困るから。
僕ら自身も、学生時代は早く学校を卒業したいと思っていたはずです。
「学び」を心地良いモラトリアムにしてしまっていないでしょうか?
「学び」という言葉に魅入られて、自分でモラトリアムを選択して、今度はモラトリアムから出ることに怖さを感じて。
進んで罠にかかりにいっているようなものですよ。
注:自己投資を否定しているわけではないのであしからず。とても大事だと思っています。目的ね、目的。
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