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比較の本当の使い方。
比較とは、視点を増やすためのツールだというお話を。
不謹慎かもしれませんが、なくしてはじめて良さが分かることってありますよね。
人だったりものだったり機会だったり仕事だったり場所だったり。「あって当然」のうちは価値が分からなかったのに、なくしてから失ったものの大きさが分かるという、あれ。
いつの間にか、なかった過去のことが頭から消えてなくなっているんです。
ちょうど現代の良さを、現代人が曖昧にしか分かっていないことと似ています。過去と比較すると現代は便利で平和で不自由はずいぶんなくなったはずなのに、「まだ足りない」という。
比較とは、なんのためにあるでしょう。
「人と比べる」などと聞くとどうもネガティブなイメージが生まれるけれど、比較してはじめて分かることも多いです。自分のことほど、自分では分からないものだから。
実は分からないのは当たり前で、自分で自分を見るって本来矛盾しているんですね。たとえば目にしても、自分の周囲を見るために備わっているツールです。
他人の視点を通して、比較して、ようやく自分という人間の機能が分かる。
自分を知るということは、どれだけ今までの自分にとっての異質を受け入れられるかだと思います。
子どもの頃は異質こそが好奇心の対象でした。まだ、ものの見方が定まっていなかったから。それがいつの間にか、「あれはいい」「これはダメ」と白黒つけるようになってしまいます。
比較という物差しを仕分けの道具にしか使わなくなってしまって。比べることで自分を損なってしまうという価値観を植え付けられてきたからでしょう。
自分のあり方を正当化するために、比較を悪用する人間もいますしね。特にネットの世界では、匿名をいいことに、比較を都合のいい道具にして自分を成り立たせようとする人さえいます。
しかし比較とは本来、自分の視点を増やすためのツールです。
人間に完成はないと思います。よくいわれる「自分が死んだときにどういう人間に思われるか」というのは的を得ていて、死んだときにやっと完成する生き物。
生きることは、彫刻のように、彫って彫って形にしていく作業に似ています。彫り方は他人の視点を通して獲得していきます。
ある考え方では、視点を増やすのに有効なのは、本を読むこと。旅に出ること。人との出会いを増やすことだそうです。
なるほど、的を得ています。自分のなかに流入してくるものではなく、主体的に「取りに行った」もののなかに視点があるということです。
「人と比べる」のネガティブなイメージは、取りに行くのではなく、流入に身を任せているからです。SNSを見て、すごい人ばかりで(見かけね)自分が卑屈になるのはまさにそれ。
原点に立ち戻って、比較を物差しとして使いませんか? 比較は視点を増やし、自分を豊かにするためのツールです。
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