【エッセイ】電車の戸袋にバッグが吸い込まれて
最寄り駅に近づいたので、座席から立ちあがりドアに近づいた。
ドアの左にはリュックを背負った若い男性が、右側にはキレイめなファッションに身を包んだ若い女性が立っていた。
電車が停まる寸前、左側の男性がドアの真ん中に移動し、わたしの前に立ちはだかった。一瞬、イラッとしたが
(まあ、まあ、急いでいるわけではないし)
気をしずめて、その男性につづいて電車を降りようとドアが開く瞬間を待った。
バンッ
キャッ
なにかがぶつかったような大きな音したかと思ったら、女性の悲鳴があがった。
一瞬、なにが起こったかわからなかった。
(エエエエエッ!!!!!)
みると、右側にいた女性のまあまあ高そうな合成皮革でできた巾着型のバッグ(推定金額16,000円)が、電車のドアの戸袋に吸い込まれていくのが見えた。
ドアは左右に全力で開こうしているので、バッグはドンドン右側の戸袋に入っていってる。
運動神経が良さそうなリュックを背負った若い男性は、その騒ぎに気づいているのかどうか、スタスタと駅のホームを歩いていってしまった。
車内の人も何人か気づいているようだが、みな驚いて固まり、だれも助けにこない。
女性はバッグを引き抜こうと、かろうじて戸袋から半分出ていたバッグに両手をかけたが、彼女の華奢な両腕ではビクともしなかった。
ようやく事態を理解したわたしは、左足でホームを踏みながら、右足を車内に残した。
わたしがそんなことをしなくても、ドアが再び閉まれば、バッグは戸袋から出てくるかもしれない。
しかし、わたしの後につづいて彼女もその駅で降りようとしていたのだ。そんな彼女を車内に置いてぼりにするのは不憫だった。夜9時を過ぎていたから、きっと彼女も帰宅を急いでいただろう。車内でたった一人で注目を浴びつづけるのもつらいだろう。
わたしが体半分ずつをホームと車内に置いて置けば、車掌は異変に気づいて、ドアを閉めたり、発車したりしないはずだ。
つぎにやることは決まっていた。バッグを必死に掴んでいる彼女の両手と重ならないように、両手をバッグにかけて引っ張った。
バッグに入っていたのは、感触からすると、スマホと財布とハンドタオルくらいであろう。
(エイッ! ヤアッ!)
強く引っ張るだけでなく、高そうなバッグを傷つけないように、慎重に引っこ抜いたつもりだ。昨日、爪を深く切っておいて良かったとも思った。
スポンッ
そんな音が聴こえた気がした。ついにバッグは戸袋から無事に抜けて、わたしも彼女もホームに降りられた。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
彼女はペコペコしながら、何度もお礼を言ってきたので、軽く頭をさげた。
それでなんとかなく良い気分になった。
(他人に『ありがとう』なんて言われるのはいつぶりだろう)
帰り道、バッグや中に入っていた物が傷ついていないだろうかと少し気になったが、彼女がケガをしてないことがいちばん大事だろうと思った。
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