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MPC2000XL

AKAIのMPC2000XLはずいぶん昔に人にあげてしまった。彼女は、自分が持っていてもどうしようもないと思っていたし、お世話になった宿代、ご飯代にとしてもとても足りないから申し訳ないとさえ思っていた。

そのサンプラーを譲り受けた相手はいつか彼女が返して欲しいと連絡をくれるんじゃないかと待っていた。きっと死ぬまで待っただろう。彼女を居候と思ったことは一度もなかった。
自分と一緒にいてくれることがありがたかった。いつまでもいつまでもここにいて欲しいと思っていた。

彼は彼女がいなくなってたくさん時間ができたから、MPC2000XLの説明書を読み込んで使い方を熟知した。けれどライブハウスに持って行くには大きくて重すぎたから、小さい物を別に買って使うことにした。
部屋に置いてあるその機材を見ては彼女を思い出した。甘いような、切ないような、触っては君を感じていた。君の髪、君の肌。実を言えば泣いて過ごした。

長らく人生が過ぎた。ずいぶん経って君に会った時「あのサンプラーはあなたにあげたのよ」と改めて言われて、もう返して欲しいと言われないことが分かった。
「本当にいいの? 今だと値段も高くなってるよ」
「いいよ。使ってもらってもいいし、売ってもいい」
絶対に売らない。これは自分に残された、数少ない君との思い出のひとつだから。

自分のまわりにはいつも君が浮遊する。君の残り香を吸って生きている。

君と出会ったあの時に、どれだけ経っても変わらない愛があると知ってしまった。

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