自称
「俺ってSなんだよね」という男はSじゃないと言う話はよく聞くし、「自称Sには気を付けろ」と言っているサディストが全然Sじゃない、という話もよくあるだろう。そして
「『自称Sには気を付けろ』と言っているサディストが全然Sじゃないってこと、ざらにあるよね」
とせせら笑う自称サドが偽物ということもざらにある。
同様に「私ちょっとMかも……」とはにかみ気味に、相手を窺うように打ち明ける女が単なるエゴマゾという話も散見する。女が期待しているのは快感のみだ。相手がSだと言うから、自分にいかほどの快感を与えてくれるのか予見しながら、いかにも受け身のマゾヒスティックらしさを見え隠れさせながら、おずおずと打診しているのだ。そんな自称Mをエゴマゾだと高みから叩くサドが本物とはもちろん限らない。
それにもし、双方のニーズがマッチしたら、例えファッションSMでも十分楽しい時間が過ごせるだろう。不幸が訪れるとしたらどちらかが寂しさを抱えている時だ。きっと孤独が膨れ上がる。
「何をもってSM、SとMとするかだよね」
「人それぞれ定義は違うから……」
逃げんな。
とはいえ、大変表面的な話なのでそういうのは聞き流すのが良いとしている。
人間は口八丁手八丁で、自分が何者なのか分かっていない、表面だけを掬い取ってそれを真理と信じて生きている人が多いから、それでも十分生きてはいけるから、悪くはない人生を送る人もたくさんいるだろうから、その人の性質や嗜好は申告を鵜呑みにせずに、実際に付き合ってから見極めるのが良いだろう。
noteで小説家を目指している男性の記事がおすすめに出てきた。「自称小説家」について書いていたと思う。
個人的にはそんなこと名乗るのすごく恥ずかしい。私は日々、普通の人と比べれば文章を書く方で、「そんなに書いていて疲れない?」と訊かれたことがある。
身体は疲れないが、脳が疲れるように感じる。
良いのが書けると脳がシビれる。
一銭ももらってないのに、成し遂げてもいないのに、無名なのに、救いようもないのに、書き終わって、『ドクターX』の孤高の天才外科医・大門道子が難しい手術を成功させた後、砂糖たっぷりのコーヒーを飲むように、異常に甘いスプレッド・ヌテラを舐め回している自分を振り返って、情けなくて恥ずかしい気持ちになった。
しかし何かを真剣に目指す場合に、恥ずかしいかどうかはさして大きな問題ではない。恥ならかき捨てられないほどにかいている。
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