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Youtuberの様にお洒落な生活じゃなくても

家での時間を大切にしてるけどお洒落なYoutuberの様にお洒落な生活が出来ない。それでも私は、私の心を満たすことが出来ていると思っている。

何年か前の私は、まだ自分の現実を生きる時間よりも、デバイスを通して誰かの生活を見て憧れを抱く時間の中を長く生きていた。YOUTUBEは便利なもので、次から次におすすめにお洒落な人たちのチャンネルを上げてくれた。自分も頑張ってこんな生活をしたいと、憧れを強く持つのは流れとして当然のことで、動画で紹介されていた大して興味があるわけでもないものを次から次へ購入していた。


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憧れている人がそういう生活をしているから真似してみる」は本当に自分の心を満たすのか、を長い間考えてきた私は、答えはそこにはないということに気がついた。お洒落なバスボムを入れなくても、お洒落な料理じゃなくても、お洒落な部屋着じゃなくても。誰かに羨ましがられる様な高層階の家じゃないし、テレビも大きくないし、一人だし、ペットも飼っていないけど。自分の興味の対象でない限り、本当はそんなこと「どうでもいいこと」で。

動画に出てきたものを一つずつ買い、自分の価値が上がった様気がしていたけれど、増えるのは家の中の物と使わなくなりゴミと変わった物、減ったのはお金と自分の好きな物に関わる時間だった。一人一人考え方が違う様に、一人一人心を満たす物も違う。そんな当然のことを忘れてしまうほど、ソーシャルメディアにより人の生活が簡単に見える様になり自分と比べることが増えた。さらにそれは私達に「憧れ」を簡単にチラつかせてくるけれど、それを全て鵜呑みにしてはいけない。

そのときの好奇心で買ったものと、自分が本当に好きなもの。どちらが本当に自分を癒す道具になるのかをよく考えれば、いやよく考えなくても冷静に考えられれば、答えは簡単に見えてくる。


自分が働いている意味は何なのか。自分は何のプロダクトに対してお金を使っているのか。それに賛同しているのか。気持ち良く支援できるのか。


ソーシャルメディアによって人の影響を貰いやすくなってしまった私達は、憧れに近くことよりももっと自分自身の大切な主張と向き合わなければいけない。その声を聞き逃してはいけないのだ。そして忘れてはいけないことは、憧れの人の憧れの部分はその人の一部でしかないということ。苦悩や苦労をわざわざオープンにしていない限り、その一部しか見ることは出来ないのだから。


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