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日曜日のnote:制服が初めてのスカートだった


この日曜日のnoteでは、アセクシャルな私の悩み・経験・過程等、様々な支えと共に今、そしてこれからのことを記録していきます。同じ悩みを抱える人の目に偶然止まった時、どこか楽な気持ちになれますように、そして読んだことをすぐに忘れられるくらい優しい日常になりますように心を込めて。



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今はワンピースばかりを好んで着用するようになったけれど、中学生に上がるまでスカートが嫌いで1着も持っていなかった。なんで嫌いだったのかは曖昧な記憶だけど単純に可愛く思わなかったんだろ思う。ひらひらした物を履くことが恥ずかしかったのだとも思う。

心配した母は、買い物に私を連れて行く度に「あ、見てこれ。可愛いね、しいなに似合うんじゃない?」と言って私を試着室に押し込んだけれど、私は頑なに試着をしなかった。その場で「嫌だ」と言って泣いて怒ったことすらある。そんな私を見て母は苦笑いを浮かべていた。


それでも時間の流れには逆らうことが出来ずに、中学校の入学式でスカートを履いた。2時間もかからない式典の途中で、脹脛にスカートがさらさら当たる感覚が痒くて気持ち悪く感じた時、女に生まれたくなかったと心の底から思ったのを今でも覚えている。でも私の場合、毎日履いていれば慣れてしまうものだったようで、全く抵抗がなくなるのに時間はそうかからなかった。そこから私服もスカートが増えていったのはなんせ楽だったからかもしれない。


どんなことであれ、きっかけを掴んでしまえばこっちのものだったように今は思う。あの時期を越えて母と買い物に行くことが大好きに変わっていた。


でも、私のようにスムーズに流されることが出来ない人たちが多くいる。彼・彼女達はこの苦しみを更に長い時間支配される。違和感とソワソワと悲しみと憤り。それは解決されるかもしれない・されないかもしれない・見ないフリをするかもしれない。そういう不安を人に言うことすら出来ずにいる。それが思春期であれば尚更のことなのだ。


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自分がアセクシャルだと周囲に公言し始めたのは、本当に2、3年前と最近のことで。高校時代の友人に酔った勢いで話をした。彼女は「あ、そうなの?」とあっけらかんとした上で、「しいちゃんが普通に拘っていたのは分かったけど、私から見たしいちゃんは普通だよ。セクシャルが少数派だとしてもそんなしいちゃんが私は大切だし何も今までと変わらない。てゆうか、そもそも普通って存在しないって思うんだけどね。ハハハハ」と豪快に笑いながら言ってくれた。


そんな彼女の言葉を聞いてから「普通になりたい」と言う感情は薄れた気がする。私の本来望んだ普通は「異性を好きになって繋がって家庭を作る」ということだった。それでも本当にそれは普通?こんなに個性とか自由というワードが行き交う世の中で、どうしてそこだけが変わることなく不動のものなのか。そんなことを気にし続ける意味はないのかもしれないと思った。友人の考え方を聞いて、心が楽になった気がしたのだ。


そこからだ。本当に信頼している周囲にアセクシャルだということを隠さなくなった。正式にはアセクシャル・アロマンティックだけれども、名前を知って欲しいわけじゃないからアセクシャルで良い。その肩書を覚えてほしいとは言わない。ただ「こんな人もいるよ、でもそれは別に大したことないんだよ」と私を通して知り合いが思ってくれることが嬉しいのだ。


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冒頭に戻るけれど、今になって必死に私にスカートを履かせようとした、母の気持ちも分かるようになった。親である以上子供に幸せになってほしいと思うことは当然だろう。母はきっとあの時、「女の子としての幸せな道」を私に作ってあげたかったんだと思う。それを理解しようとせず「嫌だ嫌だ」と言ってたくさん傷つけたことに対してとても申し訳なく思っている。

自由を主張するのは自由だけれども。その主張をしすぎて人の優しさに気がつけないこともまた愚かなことだ。辛いのは当事者だけではない。本当は親しい人も同じように傷ついているということを覚えていたい。それを認識した上で、しっかりと話し合って理解しあえれば、お互いをもっと尊重し合えるんじゃないかな。母とは良い関係性を築けている。そして今、厳しかった母の子供で良かったと心の底から思っている。孫を見せてあげることはきっと出来ない。それでも私が出来ることを、何かしらの形で返していきたい。


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