見出し画像

プロ野球に恋をした日から



プロ野球に恋をした日を覚えていない。



気が付いた時には自宅、父の隣で試合を眺めていた。ルールなんて何一つ分からなかったが、広いグラウンドで白いボールをただ追いかける姿を夢中で眺めていた。



部活や彼氏で忙しかった思春期真っ只時代には、プロ野球から離れた年もある。それでも大会で敗れる度、恋人に振られる度に昔と変わらず、テレビの前に戻ってきた。


初めてのアルバイト代。社会人になっての初任給。

どちらの時も一人で野球観戦に向かった。


野球の何がそれほどまでに、私の心を揺さぶるのか。


〜〜〜


私が小学生の頃にスタメンで活躍していた選手はほとんど現役ではいない。入団1年目の選手がベテランになっているだけでなく、私より7つも年下の男の子が堂々たる姿でグラウンドに立っている。


それほど時は流れているのに、子供の頃確かに夢中になって見たヒーローたちの映像は、褪せることなく私の記憶に残り続けている。



10代より20代になってからの方が圧倒的に精神的困難に直面することが増えた。それは「一社会人としての責任」といえば聞こえはいいが、先を進むペースを落とすことのない技術の進歩にアナログな機能が対応していけていないからだ。人間も時代に合わせてアップデートしていかなければならないと、無言の圧力がひっそりと流れている。


それでも大人は耐えなければいけない。

自分の生活や、家族のために。
そして見栄のために。



私はそんな生活が息苦しくなる。

苦しくて自分がどうにかなってしまいそうな時

決まって野球に縋りたくなった




それは父の隣で見た光景と変わらないもので。どれほど球速が上がっても、レベチなバッティング技術に驚いても、変わらず広いグラウンドで選手は白いボールを追いかけている。


エラーをすればベンチで涙を流し、納得いかない判定を受ければ感情を顕にする。その姿を見れば彼らの野球への情熱がいつだって伝わる。その光景は20年前の記憶と何一つとして変わらない。


そして、その熱いプレーを見ていると、もっと真剣に自分の仕事と向き合わなければならないという、使命感を覚える。


私達はどれだけ働いても彼らのユニフォームのように土がついて汚れていくことはない、怪我をすることもないけれど、それ以前に彼らと同じ熱量で物事に向き合うことすらしていない。汚れる覚悟もないし怪我をする度胸もないのだ。




何度も何度も、力を与えてくれる

それが野球だ。

真剣な眼差しを見て、声を聞いて、

活力を見ている人皆に分散させる力がある。

それが野球なのだ。


私は野球に恋をした日から

ずっと野球に片思いをしている。それが幸せなのだ


〜〜〜


きっとこの感情はどの球団ファンも持ち合わせている特別でも何でもない想いだ。


だからこそ、声を大にしていいたいことは



「私たちは野球を愛している」




たったその一言だけなのだ。




今日から全球団キャンプイン。

オープン戦、そして開幕はすぐそこだ。



私達ファンに出来ることは、

私達の生きがいを壊さないように、今のコロナの現状と向き合い適切な行動を実施し、3月26日まで指折り楽しみながらカウントダウンをすることだ、ということを忘れることなく過ごしたい。


ファンにとっても今日から己のキャンプのスタートだ。

心して毎日を乗り越えようじゃないか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?