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日曜日のnote:一つの側面で人間性を判断しない

この日曜日のnoteでは、Aセクシャルな私の悩み・経験・過程等、様々な支えと共に今、そしてこれからのことを記録していきます。同じ悩みを抱える人の目に偶然止まった時、どこか楽な気持ちになれますように、そして読んだことをすぐに忘れられるくらい優しい日常になりますように心を込めて。



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聞かれて困る質問がある。

「好きなタイプは?」


「そんなこと聞いてどうするの?」という心の中の悪態はこっそりと飲み込む。実際に発言してしまうとノリの悪い嫌味な人と思われてしまうから。そんな失敗を何度も繰り返してきて自分が損をしてしまう行動、それに対しての解決策をいくつか持っているのは経験を積んで得た代償だ。だけど今でもこの質問をされると、今までと合わせて何度目か数えきれないあまりの回数にうんざりしてしまうのだ。

ただの世間話であって大して私に興味があるわけでもなく話のきっかけだ、ということは分かっているけれど好きなタイプが存在しない私は困ってしまい上手く答えられない。恋愛が分からない。話題に入っていけない。想像通り友達との距離が出来るわけだ。だからいつもその質問をされた時「優しい人」と答えてきた。間違いはない、優しくない人より優しい人の方がいいに決まってる。でもそれを平凡で誤魔化していると捕らえられ、本心を話してくれない人と認識されてしまうのが学生時代の私だった。


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最近少女時代のサニーが非婚主義を貫く理由を公開した。



私との根本的感覚とは異なるけれど近しい部分も実在する。何かを発言することでそれに対してのリアクションや、簡単にその発言を撤廃できないこと、そもそもその質問。面倒だと思いながらも周囲から浮かないように当たり障りのないことを述べているのにも関わらず「つまらない」と簡単な言葉で流され、集団から摘み出される若く幼い世の中が嫌いでしょうがなかった。そうなるとタイプなんてものがそもそも存在しないAセクシャルには妄想想像で嘘を重ねてその場を凌ぐしか打つ手がないのだ。それがまた自分の首を締めていくと分かっていながらも。

私の場合は意図してというよりも、本能的な部分で恋愛に対して結婚に対しての能力が欠如しているけれど、韓国ではサニーのように非婚主義の女性が増えているという情報を多く見かける。

 


少し前に話題となり日本でも訳版が発売された「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだときは時代の動きや流れに驚く部分が多かったけれど、形は違えどその不自由さを感じる現代人はたくさんいるだろう。だからこそ「昔の話だから」とは一概には言えないのだ。

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恋愛話を楽しめる同世代の子達が羨ましかった。私は決して恥ずかしかったんじゃなくて話せる内容がなかった。あの子達の感覚を理解出来ない私と、私の感覚を理解出来ないあの子達はいつまでも平行線のままで交わることはなかった。

「分かってほしい!」と言いたいんじゃなくて「否定しないでほしい」という願いを抱き続けてきた。

どうしたって他人同士、理解出来ないことは必ずあるけれど、その自分とは異なる部分を見つけたとしても、その一部で人間性や価値を判断しないで欲しかった。好きなタイプ答えられない私を見て、その一部だけでつまらない人間として興味の対象から外さないで欲しかった。私もそれ以外なら普通に話が出来るのに、輪にも入れない事が悲しかったのだ。


人間には色々な側面がある。全てが全て同じなんてことはない。でも重なる部分は必ずある。私はほんの少しだけ寂しい想いをしてきた分、それを見逃さないようにしたいと思っている。話が合わないことはあると理解しながら、それ以外を探してお互いが楽しめればいいじゃないか。一つの側面だけを見て人を判断するなんて勿体ないし、私はもうそんなふうに判断されたくない。



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