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短編小説|恐怖の館の殺人鬼

「きゃあぁぁぁぁぁっ!!!」
「うわあぁぁぁぁっ!!」
「い、いやあぁっ!! 来ないでえぇ!!」


 階下から複数の入り乱れる悲鳴が聞こえ、暗闇の中をドタバタと激しく逃げ惑う足音がする。

 ここは〈恐怖の館〉──。

 そう呼ばれている。


 
 安易に足を踏み入れた者は、暗闇の中、想像を絶する恐怖に慄き、悲鳴をあげ、泣き叫ぶ。

 最後の扉まで辿り着かなければ、館からは出ることが叶わない。そういう決まりだ。


 ふいに静寂が訪れる。

 誰もいなくなったのか。

 そんなわけはない。そのことは自分が一番わかっている。

 耳を澄ませていると、カツン、カツン……と、誰かが階段を上がってくる足音がした。

 足音は慎重に、一歩一歩こちらへと近づいてきている。

 そして、ぴたりと止まる。

 この部屋の前だ。

 俺が隠れている、部屋の前だ。

 心臓がどくどくと早鐘を打つ。


 うまくやれるだろうか。もし失敗したら──。

 いいや、やらなければ、と自分を奮い立たせる。
 手にした斧をぎゅっと握り直す。

 カチャリと、ドアノブに手をかける音がする。そして、

 ギイィィ──。

 軋む音がした。ドアが開かれたのだ。


 戸口から室内を覗き込むような視線を感じる。

 わずかな息遣いさえも、聞こえてしまいそうだった。

 カツン……。

 部屋の中へ入ってきた。

 ぶるっと身震いする。

 こちらまで、あと三歩、二歩、一歩──。

 その瞬間、俺は覚悟を決める。

 躊躇せずに、両手で握った斧を勢いよく振り下ろす。


「ぎゃああぁぁぁぁぁぁっ!! た、助けてぇぇ!!!」


 耳をつんざくような叫び声がしたかと思うと、相手は一目散に部屋の外へと逃げ出す。

 その後ろ姿を見ながら、俺は汗で滑りそうな斧を床から離し、息をつく。


「おお、いい脅しっぷりですねー」

 背後から、からかうような声がした。

 振り返ると、部屋の奥にある分厚いカーテンを手で押しのけて、こちらに顔を覗かせている男が見えた。

 その男に向かって、俺は声をかける。

「あ、お疲れ様です。交代の時間ですか?」


 ここは〈恐怖の館〉と呼ばれる、洋館を舞台にした、いわゆるおばけ屋敷だ。

 俺は来客を脅すエキストラ役として、先週から試用期間で雇われている。

 母親が外国人である俺は、ほりが深い顔立ちをしている。他のエキストラも似たようなもので、外国人か、もしくは顔が濃い人間しかおらず、平坦な日本人顔よりも脅し役としては適しているらしい。

 いくつかある配役の中で、俺は斧を振り回す、殺人鬼の役だ。

 殺人鬼らしく、顔や服にはべっとりとした血糊がついている。


 
 俺はついさっき豪快に振り回していたにせ物の斧を交代する男に渡すと、今日の仕事を終えるべく、分厚いカーテンの奥にある薄暗い控え室に入る。

 べたつく服を脱ぎ、壁にかかる鏡の前に立つと、タオルで顔を拭う。


 鏡に映る自分の顔を見つめる。

 無意識にすっと目が細まる。

 いまはまだ試用期間だ。

 殺人鬼役は日々上達しているが、不適合と判断されないようにしなければ。



 そう、あいつが来るまでは──。



 気を抜かず、完璧にしておかなければならない。

 すでに本物の斧は手に入れてある。

 あとはその日までに持ち込むだけ。



 俺が本当に手をかけることになる、あいつが来るその日までに──。



*最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

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