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プーティーウィ?と鳴く鳥は


きょうは最初に、一冊の本の話から入りたいと思います

凪良ゆうさんの「流浪の月」
第17回本屋大賞の受賞作です

この本は電子ではなく紙で読んだのですが、読み終わったときちょっと泣きながら本をぎゅーってしました
栓を切ったようにわんわん泣くのではなく、ちょっとだけ泣きました
余韻で勇気がぽこぽこ湧いてくるような作品でした
勇気が湧くといっても、とても元気をもらえました!!とかではなく、なんか大丈夫な気になれました〜、みたいな温度の勇気です
これってすごいことで、完読から時間が経ってもじわじわリフレイン感動しています(リフレイン感動とは)

お恥ずかしながら私はこの作品ではじめて凪良ゆうさんを知ったのですが、この方もともとはBL作家さんなんですね
さぞ切な苦しい物語を描いているのだろうと、そちらも覗かせていただいたら、心を鷲掴みにされてしまい、一時期関連のBL作品を読み漁っていました


そして、凪良ゆうさんのインタビュー記事に目を通していて私は七尾旅人さんの「八月」という曲に出逢います
凪良ゆうさんが「流浪の月」の執筆時、佐伯文(登場人物)目線の部分を書き進めるときに聴いていた曲なのだそうです
これは気になる!と思い、すぐ聴いてみました
このときは、めちゃくちゃわんわん泣きました

聴いてほしいです


再生してくれた方、ありがとうございます
サビ前に出てくる「プーティーウィ」というワード、なんだろうと思いませんでしたか?

これはアメリカ文学から生まれています
カート・ヴォネガット・ジュニアの「スローターハウス5」という作品の最後に出てくる言葉で、鳥の鳴き声です

世の中、世界、宇宙までいくかもしれないですね
それらに対する漠然とした苛立ち、不安、絶望感を言葉にすることができなくて、そういうもんだよね、そういうもんなんだよとしている
そんな鳴き声だとされています
読み手に受け取り方を完全に委ねているので、これは本当に説明が難しいです

私はカート・ヴォネガットが作品の締めくくりに鳥を鳴かせるしかなかった、もしくは鳥に鳴いて欲しかったのか、考えてみたりしました

また、七尾旅人さんはどんな思いで、このプーティーウィ?を「八月」の歌詞にいれたのか

どうしようもないこと、言葉にならないこと、何に?どうして?を説明できない感情の自分だけが分かる波とか、いるのかいないのか誰も知らないのに崇められてる神様とか、誰かにとってだけのヒーローが語る正義の違和感とか、
きっと全部考えなくていいようなことで、考えて何か変化が起きるわけでもないことで、分かっていながら頭がアホみたいに冴えてしまうことがあって、
そういうとき、私はプーティーウィ?と鳴く鳥を思い浮かべます
おまじないみたいなものに、なっていると思います


そろそろまとめていきたいのですが、
こんな感じで私が繋がるようにして出逢った本と曲を紹介させて頂きました

皆さんも、こういう繋がりを辿る出逢い方に積極的になってみてはとお勧めしたかったのです

普段よく触れてるジャンルとか、流行りで耳にするものとか、それだけではなかなか自分にぴったりとはまる、オーダーメイドなんじゃないかと思えてしまうような作品とか、そういう感動には出逢いづらい気がします

ひとりひとり、感性は唯一無二だと思います
自分だけの感覚で、探してみてください
きっとそうして寿命を伸ばしていけます

秋の夜長、それぞれに穏やかな時間が流れますように


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