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久々に読んでいて涙が止まらない本に出会った

太れば世界が終わると思った
キムアンジェラさんが書いた今年出版の本だ。

最近韓国の本を目にする機会が増えて、
エッセイを中心に何冊か読んだ。
韓国ドラマはキラキラした恋愛ものや
ドロドロの愛憎劇が多いけど、
読んだ本はどれもサラサラと
大袈裟なところがなく読みやすい。

「太れば世界が終わると思った」は、
筆者の摂食障害との17年もの戦いについて
書かれたノンフィクションだ。

彼女が思春期を迎えて、
女性として成熟する体に違和感を覚え、
過度なダイエットの結果拒食を経て過食症になり、
学業に支障が出るようになり、
自ら病院に助けを求め
(摂食障害の患者は家族に連れられて
病院に行くことが多く、
自分から受診することは珍しいらしい)、
回復と悪化を繰り返しながら、
自分と向き合い、受け入れていくストーリーだ。

私は摂食障害ではない。
幼少期からふっくらした子どもで、
そのまま安産型の健康な体に成長した。

小学校2年生の時に私よりも背が高い子に、
その子よりも体重が重いとからかわれて
(その時の体重は21キロとかだったと思う)、
それまでにもなんとなく気づいていたけれど、
明確に私は太ってるんだなと
思ったのをよく覚えている。

中学生の頃には毎日体重計に乗って、
折れ線グラフに体重を記録していた。
ある体重以上を「デブゾーン」とかいて、
それを超えないように気を付けていた。

高校の時できた彼氏に
「父親に、お前の彼女は足が太いな、
と言われた」
と聞かされて悲しかったけど、
当然だとも思った。

どんなに痩せたいと思っても私の体重は
身長が止まってからBMI20を下回ったことはないし、
25を上回ったこともない。

この1年以上の自粛期間で、ストレスを食にぶつけるようになり、
4キロくらい太ってしまったが、それでも健康体重で、
健康診断でひっかかる項目もない。

数字で現れる分には何の問題もない。

でも、小学校低学年のころから
今まで20年ほどの間
食べることと太ることは私の中で直結している。
常に食べすぎないよう、
自分の食べる量をコントロールしている。
食べたものや消費したカロリーは
すべてアプリで管理している。

飲み会や旅行などで、
カロリーのわからないものを食べるときには不安で、
みんなが好きに頼んだものが
広いテーブルの上にわっと並ぶと、
食べてはいけない、に加えて、
何だったら食べていい?
これ以上食べたら、
「だからこんなに太ってるんだ」と思われてしまう、
なんでみんな話すのに夢中で全然食べないの?
とかいった色々な感情が溢れかえって
友達との時間を楽しめなってくる。
机の上に数十分料理が残っていると
その食べ物しか見えなくなる。
その食べ物を見続けるのが辛くて、
結局食べてしまう。

帰り道一駅分歩けば良い。
明日の朝ごはんを抜けば良い。
普段からカロリーを気にしているのだから
今日くらい気晴らししてもいいはずだ。

そうして自分の基準より食べ過ぎてしまったと感じた時には
もうここまで食べたら一緒だから、もっと食べたいと思うようになる。
でも飲み会の場でよく食べる女だと思われたくないから、
早く帰って誰にも見られないところで食べたいと思う。

帰り道のコンビニでアイスやケーキを2つ3つ買って、
家に帰って食べる。

食べ終わるとはっと我に返って、またやってしまったと自己嫌悪に陥る。

数時間前、いや飲み会の予定が入った数週間から
恐れていたことが起きてしまった。
何で私は卑しいんだろう。
子どもならまだしも、成人しても食欲すらコントロールできない。

そして次の日から絶食しようとする。
成功してもしなくても結局どこかで
ぷつりと糸が切れてしまい、
また自分はだらしない人間だと落ち込む。

自宅勤務が始まってからは、飲み会はかなり減った。
でも仕事のやりづらさや孤独感で
仕事の合間にコンビニに行って
菓子パンや甘いものを一気に食べてしまうということもある。

それでも毎回反省して、その後調整するので、
肥満体型にはならないし、嘔吐したこともない。

「食べたい」と「食べたらダメだ」に挟まれて、
お腹の空き具合でなく、アプリを見て食べていいものや量を判断するのは
楽しい作業ではない。
自分に厳しくしたり、自暴自棄になったり、
自分の激しい感情に振り回されるのは疲れる。

最近目にするようになった「ボディポジティブ」という言葉は
数字や人との比較でなく、
個々の体の美しさを認めようというムーブメントだ。
プラスサイズといわれる標準体型やそれ以上のボディのインフルエンサーも増え、
彼らはとても魅力的だ。
それでも私自身は体重計やカロリー計算を手放すことはできない。
自分の美しさだけは数字や人との比較で測ってしまう。

ボディポジティブを口にする人たちは、
摂食障害を経験した方も少なくなく、
インフルエンサーの吉野なおさんがSNSでこの本を紹介していた。

それまでにも摂食障害の本を読んだことがあったけれど、
この本を読んで心から理解できたのは、
摂食障害は食べることについての病気ではないと言うことだ。
食べることに異常をきたしてしまうのは結果であって、
原因は太っているからとか食べ過ぎるからではない。

誰かより太っているとか、
以前より太ったということが、
摂食障害を引き起こす最後の一押しになることはあるが、
本当の原因は劣等感や愛されたいという渇望だ。
そしてこの根本的な苦しみは、
本人の生まれながらの気質と幼少期の家族など身近な人間関係が理由になることが多い。

筆者は摂食障害をきっかけに、自分のそれまでの人生を振り返り、
自分の考え方の歪みを認識していく。

私は自分のことを太っていると思うことや
過度に食べることに拘るのは、
私が太っているからだと思っていた。

でも、太っている人がみんな摂食障害になるわけではない。
例えば、
私は家族にも愛されないような、劣った人間だ。
だから、努力でコントロールできる体型くらいは
理想の姿にしなくてはならない
というような気持ちが拒食を引き起こす。

でも、痩せなくてはと強く思うほどに自分の考えが食べ物に支配されて
食べたいという気持ちが強くなり、
食べてしまうと、自己嫌悪に陥り、
さらに厳しいルールを課して拒食がひどくなったり、
自己嫌悪の悲しさやストレスを食べることで誤魔化して、
過食に陥ってしまったりする。

私がこの本で涙が止まらなかったのは、
彼女が幼少期に経験したことや、考えていたことに
自分との共通点が多かったからだ。

自分のことが書かれているのかというくらい
同じ体験や同じ感情が文字になっていて、
時々本を置いて深呼吸しなければならないくらいだった。

呼び起された感情や記憶は読むと同時に、
癒されるようにも思えた。
彼女が今は摂食障害という状態から少し離れたところにいて、
昔の筆者自身や自分の見た目に囚われている読者に
寄り添っているからかもしれない。

共感したところ、私と同じだと思ったところは多すぎて書ききれない。
兄弟に比べて可愛がられなかったこと、
周りに「理想が高い」と言われてもそうは思えなかったこと、
必死で努力をしても自分の至らないところばかり
目について、
どうすればいいかわからなくなったこと。

色々ある中でも一番心がきゅっとなった文章を引用したいと思う。


過食症を患っているあいだ、
ずっとある考えが頭から離れなかった。
「誰かわたしを起こして。
立ち上がらせて」。
ずっと倒れている気分だった。
ひとりでは到底無理だった。
誰かが起こして立ち上がらせてくれるのを望んだ。
けれど、この病気は力を振り絞って
自らの足で立ち上がらなければ
治せない病気だった。

私も自分の足で立ち上がろうとはしていなかった。
むしろ自分で立ち上がりたくなかった。
人に抱えられて、抱き上げられたかった。
だって私が立てなくなったのは、私のせいじゃないから。
周りが私を立てなくさせた。
だから謝ってほしかった。
私が立てなくなった全てのことを謝って、
その上で起こしてほしかった。
傷つく前の私に戻して、またやり直させて欲しかった。

立てなくさせられた上に
自力で立ち上がるなんて
あまりに惨めすぎると思った。

知り合って日が浅い人や仕事仲間には
「愛されて育った子」のように見られたくて
気を遣って愛想を振りまいてきたけど、
一方で親密になると、助けて欲しくて縋りつこうとしていた。

私の人との付き合い方は、
自分の理想の姿を演じて評価されようとすることと、
自分の怒りや悲しみを一方的にぶつけて
あとは助けて、ともたれかかるような両極端な関わり方で、
どちらにしても相手に映る自分の姿しか見てこなかった。

だから人といても疲れてしまうのだと
気がついた。

この本はノンフィクションなので、
ドラマティックなことが起こるわけじゃない。
親と話し合って関係が完全に修復したり、
全てを受け止めて助けてくれる恋人に出会って完治したりはしない。

彼女は自分で助かろうと思わないと
助からないことに気づいて、
でも劇的な行動をとるわけでもなく、
毎日を生きることで段々と自分との付き合い方がわかってくる。

私も同じように思いながら、まだ人に求めすぎたり、
自分を責めすぎて、自己嫌悪に陥るときもある。

彼女も自分に願ったように、
私もただ自分をもう少し放っておきたいと思う。
統制しようともむやみに努力しようともせずに。
自分の見たものやしたこと、起きたことの
全てにジャッジをくださずにはいられない私の心が
少しでも平和になったらいいと思う。

子供の時は次の日起きたら
仲のいい家族になっていたらいいのにと思っていた。
もう少し大きくなってからは
痩せて可愛くなっていたらいいのにと思っていた。

今は考えすぎず、求めすぎない人間になりたいと思うけど、
一晩で手に入らないこともわかっている。

今日は朝起きて、ご飯を食べて、
働いて、カフェで店員さんと雑談をして、
家事をして、夜はテレビを見て過ごした。

不安や不満はキリがないけど、
自分の生活を今日も守れているだけで
悪くないと思える。
こんな日が続くことを祈りたい。

そう思えない時には、この本を思い出せるように
手元に置いておこうと思う。

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