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狂人たちの支配する世界

私はふと、この世界を虚しく感じることがあります。つい数時間前までは、夢や目標に向かって走っていたハズなのに。やる気に満ちてた私が嘘のように静まり返る時があります。大前提、決して陰謀論的なお話をしたり、悲観的になりたいわけではありません。ただ、世界の本当の姿を知った上で、「どう生きていくか?」問いを立てることの方が重要だと思っています。なぜなら、それでも私たちは生きていくから。


この世界の本当の姿

引用元:YouTube Eden Media「悟り (2018)」

まず、この動画を見ていただきたいと思います。どこかで見たことがある人もいらっしゃるでしょう。私がこの世界のことを、虚しく感じた理由をなんとなくわかっていただける方もいらっしゃるかと思います。

なぜ生きづらいのか、考えたことはありますか?

この記事は、決してあなたを悲観的にさせたいわけではございません。本当の目的は、「何を大切にして生きていくのか」という意識を抱いていただくことです。今頑張っている仕事、追い求めているお金、理想の生活や環境、理想の自分の姿など、どうしてそう思うのでしょうか。考えたことはありますか?

私はそれを考えた時、誰かの思想を生きているのではないかと思ってしまうことがあります。小さいことで言えば、たとえばファッション。あのアクセサリーが欲しいと思ったのは、なぜ? 何かを見たからでしょう。それか、単純に心の琴線に触れただけかもしれません。どちらにしても、なぜ惹かれるのでしょうか。

自分は一体どこへ向かっているのか?

こういった欲望は、生きていればいくらでもあります。いい服、いいアクセサリー、いい時計、いい車、いい家、いい異性、いい環境、欲は書き出せばたくさん出てきます。自分は一体どこへ向かっているのか? ふとした時に、本当の根幹の目的を見失いそうになります。これが、生きづらい原因なのだと思います。

31年生きてきての結論

私の31年間は、他の31歳よりも濃いかと思います。・・・なんて言ったら、おこがましいですね。みんなそれなりに生きてきているものです。私もあなたも。そんな中で私が思うのは、どこを向いて生きていくのかだと思っています。結論、大切な人を見つけることだと思います。形にこだわる話ではないけれど、やはり結婚かなと。今は事実婚などもありますが、どちらにせよ、「私の大切な人」という生涯レベルの人を見つけることかと。

自分愛はInstagramなだけ

なぜなら、結局は人だから。それ以外は、時と共に虚しさすら感じるからです。誰だって、自分自身のことが可愛くて仕方がないです。でも、だからといって、自分だけ愛ていても虚しいだけです。それはただのInstagram。心の底から大切だと思える人がいるってだけで、幸せなことだと思います。ここには虚しさがありません。愛だからです。

人を愛することでしか得られないもの

多くの人は「愛するよりも、愛されたい」と、ある種の受け身的な考えをお持ちではないでしょうか。人から好かれることって、好ましい体験ですよね。すごくわかります。それでも私は、愛したいです。そして、愛されたい。自分が愛を感じているって、とても温かいと思っています。いくらこの世界が狂っていようと、自分の感じたことは本物だからです。この愛があるから、人は強くなれるのだと思います。

強さって、何も誰かを打ち負かしたり圧倒させたりして、のし上がっていくものだとは限りません。とはいえ、そういう社会でもあるのがこの現実。ですが、この世界だけを生きていくと、しんどいです。そうではなく、愛する人がいると感じているだけで、それはもう強いのです。大切なものを持っているから、見つけたから。

なぜ、生まれてきたのか?

愛だのなんだの、いろいろと述べましたが、愛と聞けば、私は生命を連想します。私は愛があるからこそ、この世界に誕生したからです。両親が愛し合ったから生まれたということ。しかし、そう言うと「うーん」と思ってしまう私もいます。私の両親は、熟年離婚しました。かつては愛し合っていたのかもしれませんが。愛は賞味期限があるものなのでしょうか。努力を重ねていくのも愛なのでしょうか。

世間では、できちゃった婚なんて言葉もあるように、意図せずに赤ちゃんを授かることもあります。愛があるから生まれてくるとはいいますが、だんだんと言葉の定義がわからなくなります。愛がなくても生まれてくるのがこの世界。もはや、まやかしで溢れている世界のように感じます。

大事なのは、自分の大切にしていること

生まれてきたからには、生きるしかありません。そして、どうせ生きるならば、大切なものを持って生きていきたいと私は思っています。この世界が狂人たちによって支配されていようと、愛をまやかしている人がいようとも。生きづらい社会システムがあろうとも。

中盤で述べましたが、「大切な人を見つけること」がこの世界を幸せに生きる方法だというのが私の結論です。自分で愛を見つけるのです。自分から愛するのです。これはまやかしではないから。いえ、時にまやかしもあるでしょう。また、見つけたらいい。それだけです。本当に大切な人が見つかった時、それは生涯レベルの宝物なのだろうなと思います。狂った世界、それでも生きていきたいと思います。鳩のように優しく、蛇のように賢く。


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