見出し画像

【腹をくくる】全部、自分の責任だから

私は27歳まで、自信がありませんでした。強みは当然のようにわからないし、人生の経歴も誇れるものではなく、仕事の成果もなく、すべてがフラフラの状態でした。しかし、私は3年で変わりました。自信を持つことができたのです。すると誇れるものができ、仕事や恋愛も自然と好転していきました。自分に自信をつける重要性と、人生を変える力について、経験を元にシェアいたしますね。


自信とは何か

自信とは、自分に対する絶対信頼をもっている状態だと私は考えています。ちなみに、ネット検索で見てみると”自分の価値・能力を信ずること。自己を信頼する心。”と書かれています。他の誰かが与えてくれるものではない、自分が自分に対して感じる価値ともいえるでしょう。しかも、お金では変えないものです。

私が自信を手に入れた経緯には、まず私の堕落していた頃のお話が必須になります。初めから自信があったわけではないからです。その上で結論を先にいいますと、自信を得る方法は、自分が出したエネルギーの本気度で生成されていくということです。

自信のない頃の状態

まず私は、27歳まで自信がありませんでした。勝負できるものがありませんでした。「私は◯◯です」と言えるようなものがなく、むしろ「私なんて・・・」と一人勝手に卑下をしたり、愛想笑いをして、自分の話をすることができない影の薄い人間でした。とりわけ、仕事で感じました。中身スカスカな27歳が出来上がってしまいました。

・的外れ!外見から自信を得ようとしてしまう

かつての私の話ですが、中身のない自分が嫌でした。自分を語れるものがないと、社会人になって痛感させられる機会が多くなりました。恋愛にもそれは影響しました。ならばと、私はおかしな方向にいきます。外見でした。せめて、外見だけでも取り繕うようにこだわり始めました。

なけなしのお給料をブランド物に変えて、無理して頑張って身につけて「私っていいオンナ」のフリをしていました。今思えば滑稽です。全然いい女性になんてなれていませんでした。自信は何度も言いますが、お金や物では買えませんよね。

・いかにラクしようか考えていた

そんな私の中身はというと、仕事で顕著に現れます。仕事とは、お金を稼ぐためにやらねばならないこと、という理解を当時持っており、苦しい気持ちで日々を送っていました。「早く時間が過ぎて欲しい」と、そればかり思っていました。

仕事は適当にやって、適当にトイレに行ったり人と話して時間を潰して、いかに頭を使わずにラクをしてお給料をいただこうかと、そんなことばかり思っていました。残業なんてもってのほかでした。時間と労力を提供したくない気持ちが強かったのです。

人生をやり直す決意

こんなつまらない人生が嫌で、何者でもない自分が嫌で、いったんすべてを辞めました。リセットしようと試みました。ニート生活を数ヶ月し、どんな生き方をしたいかを自問していました。その結果、行き着いたのはフリーランスの仕事でした。

できる自分を演じて飛び込んだ広告業界。今思えば、よく私と契約してくださったなと思うばかりです。自信のない私を拾ってくださったのですから、感謝でいっぱいです。ちなみに今もこの会社とは関係が続いています。

馬鹿な自分はもう卒業

仕事から変えていきたいというのが、私の最初の決意でした。なぜなら、やりがいもない・お金もない・能力もないという自分が本格的に嫌になってきたからです。もうお馬鹿は卒業したかったのです。仕事を通して、何者かになりたかったのです。その先に、自信が得られると信じての行動でした。

しかし、自分の「変わりたい」という願望だけではマインドは変化しませんでした。これまで散々、ラクしてボンヤリ生きてきた私は、フリーランスに要求される精度とスピードと難しさに、毎日泣くばかりの生活が始まりました。今にして思えば、この時期から私は根本的に叩き直されたと思います。

自信のない私を救った言葉

仕事で関わっている、ある女性の先輩に言われた言葉がありました。私はこの言葉で、自分の甘さに対して本格的に危機感を持つようになりました。「私がさきさん(私)と同じ年代の頃、好きなものは普通に買えていたよ」「この年齢はね、もっと色々とできていてもおかしくないはず」とのことでした。

お金がなく、技量も乏しく(私はそう思っていた)、何よりも自信のない私には、この言葉は痛かったです。それを言った先輩も、説得力が充分にある人です。私と同じ年代の頃は大手企業に勤めており、その後は独立に成功しているすごいキャリアの人です。

そんな人と関わりが持てた自分にも、今思えば驚きですが。そもそもが、私を面接してくれた人でもあり、ご縁の深い人でもありました。色々と緊張を感じるその人からの辛辣かつ現実をはっきりと言語化され、ハッと目が覚めたのです。泣き言を言ってられないと。

「何者かになりたい」と自分で言っていた

その先輩がさらに私に伝えてくれました。「何者かになりたいって、面接の時に言ってたのを覚えているよ」と。私はこれを言われて、「そういえば」と思い出したくらいには、自分を見失っていました。当時の私は圧倒的に根性が足りず、ラクな道に逃げようとしていた時でした。

先輩の言葉は私を引き止めてくれ、私の変わり目を見守ってくれた、辛辣ながらも愛あるものでした。何よりも、自分の「変わりたい」という根幹を再確認できた時でした。私の前置き話が長くなりましたが、ここからマインドは激変していきます。

自分の選択に責任を持つ

人生とは、すべて選択の結果です。その選択は、当然自分の選択です。誰かにアドバイスをもらったとしても、それを聞き入れたとしても、最後に決めるのは自分です。自分の選択以外の何物でもないのです。

これを前提に、今の状況と向き合う決意をしました。腹をくくる、という表現の方がいいかもしれません。今目の前のことに対して、今持てる自分の全力を出していくということです。エネルギーを出すこと。出し惜しみしないこと。ラクしようとか思わないこと。つまり、全力で向き合うことでした。

責任とは、ゴール設定ありき

私が29歳の時です。この年にして、はじめて体験した感覚を仕事で味わいました。自分の能力をすべて仕事に注ぐという深いやりがい。「仕事って楽しい」と心からようやく思えたのです。

この頃には、仕事に対して「ゴール設定」を決めるようになりました。今思えば当たり前のことですが、以前のラクで怠惰に生きようとしていた私には持ち得ない概念でした。しかし、全力投球で仕事をしてからは、着地を決めるのは必須になりました。すると、責任が生まれます。この繰り返しを通して、自分の成果も数字によって見える化していきました。

すべての経験がYES

今の私は、私そのものが自信です。どういうことかといいますと、あらゆる経験に感謝の気持ちがあるからです。喜びも辛さも、恥ずかしさも、すべて自分の糧です。かつては悩んでいた「何者なのか」に対しても、もうわかっています。自他共に、仕事を通して気づきを得られました。

責任を感じるようになると、それはもう本気の証拠。あとは積み重ねて経験値をあげていくことです。どうでもいいことには責任を感じない。そもそも、そう考えている時点で、本気に向き合っていないだけ。本気の経験を重ねていけば、それはいつしか自信へと変化していきます。身についていきます。

なぜ、行動する? なぜ、求める?

私にとって、仕事とは自分の自信を養う活動だと思っています。だからこそ、仕事とはお金稼ぎだけのためではないです。それ以上の無形の価値があります。私が体験したように、本気で取り組めば自信を得られることにもなるからです。お金はあとからついてきます。内面の成長に、仕事は欠かせないと感じました。

これに気づかせてくれた、過去の怠惰な自分すらも今はYESです。すべての経験がYES。今の自分に自信を与えてくれたのは、道があってこそです。経験という道が複雑でも繋がっていたからこそ。だから、これまでのすべてに感謝です。

※この記事は、2024/3/13 に書いたものです。
※【私のブログSTART】2024/2 WordPressにて開設→2024/4 現noteに移転

この記事が参加している募集

転職体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?