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【出産・育児】楽〇キャンペーンじゃないんだから、エントリーしなくても全自動でサポートしてほしい

こんばんは、現在8ヶ月の娘を共働きで育てているheyheyです。
今日の内容も書きなぐりです。
しかも、きっと酷い理想論です。
「そんな甘ったれたこと言うな!」とか言われそうな気もしますが、気にせず僕の感じたことを書いていきます🙇‍♂️

なんてったって、書かないことには何も始まらないので。

令和で少子化時代なんだから、もっとサポートが整っていると勘違いしていた

「昔に比べたら今なんてとっても充実しているわよ!」
なんて親世代から怒られそうな気もするのですが、そんな基準は知りません。

子どもを妊娠し、出産し、育てる。
この人間の営みは、何十年何百年とずーっと絶え間なく続いてきたものです。

「今年から子供は6ヶ月で産まれるようになったわよ」
「来年から子供の育ち方が1年分早くなるらしいわよ」
なんてことは起きえないのです。

だから、妊娠時の大変さ、出産・育児での大変さも変わらずにずーっと存在し続けていたはず。

しかも、今はもう令和。
少子高齢化時代。
子どもなんて、国にとってめちゃくちゃ貴重な存在です。

だから僕は、妻が妊娠するまで、国や行政のサポートってもっともっと整っていると思っていました。

なんで申請前提なの?楽〇キャンペーンじゃないんだから、勝手に進めてよ

正直に感じたモヤモヤはこれです。

妊娠時、出産時、保育開始時などなど、あらゆる行政の支援を受けるとき、基本的に自分から申請しないといけません。

自分で調べて、行政に行ったら「次は○○してください」的な説明を受けて、そこに次の申請をしに行く。

なんでこんな面倒くさいんだ!!!!!
楽〇キャンペーンじゃないんだから、エントリーしなくても進めてくれよ!!自動で補助をくれよ!!

と心で何度思ったことか。

僕は男なので、妊娠時・出産時の大変さはわかりません。
でも、目の前でつわりで苦しんで、毎日吐いていた妻の姿なら見続けてきました。
文字通り必死の形相で、なんとか陣痛に耐えて、出産する妻の様子を隣で見てきました。

ママは妊娠の時点ですでにボロボロです。
出産時なんて瀕死です。
子どもの可愛さボーナスでHPとMPをなんとかつなぎ留めているだけです。

そんな直前直後の段階で、子育てが始まってヒーヒー言っている状態で、なんでこっちから「申請しにいかないといけない」のか。

僕の理想が甘ったれだと思われたら何も言い返せないのですが、僕は強く違和感を感じました。

理想(最低限?)的な出産・子育てサポートの在り方

僕が思う稚拙な理想を語らせてください。
それは2つです。

①妊娠時に申請用紙を1枚書いたら、あとは自動的に必要な手続きを全部進めていってほしい

②原則、オンラインですべて完結してほしい

妊娠したら、書類を1枚書く。
そうしたら、いつ生まれるのか、ぜーんぶ紐づいてきます。
必要な情報は、そこの用紙に全部まとめてほしい。
その用紙さえ書いたら、あとは行政が全部勝手に進めていってほしい。
沢山書類を読むのも、選択肢に悩むのも、申請しに行くのも全部省いてほしい。

もちろん、ケースバイケースがあるのはわかっています。
でも、そのケースも、日本政府が誕生してからの数百年を振り返れば、だいたい網羅されているはず。

まぁ、双子や三つ子が産まれたみたいなレアケースは、別途コンシェルジュ的な人がついてもいいと思うけれど(子どもが多い=国の利益なのだから)。

選択肢が必要なら、その最低限の選択肢だけ提示してほしい。
妊娠からいろんなルートに分岐していってもいい。
というか、ルートを提示するぐらいは、国や行政でやってくれてもいいんじゃない?

例えば、住んでいる場所から、適した産院を提示してほしい。
車の有無、生活スタイル、収入からから逆算して、適した保育園を提示してほしい。
分厚い保育園リストが欲しいんじゃない。自分たちに合った保育園を教えてほしいだけ。なぜ、そこを自分たちでこんなに頑張らないといけないのか。

提示されたルート全てに従う必要はないけれど、「あなたにはこのルートが一般的です。どうしますか?」くらいまでサポートはしてほしい。

この考え方っておかしいのかなぁ?

義務教育というレールに乗せるなら、生まれた直後から乗せてくれ

小学校から義務教育というレールに乗せられるのなら、その前からちゃんとレールを作って乗せてほしい。

良い大人になったら、自分でレールから外れればいい。
それまでは手厚くレールに乗せてほしい。

というか、妊娠・出産の時期こそ、手厚くて頑丈なレールが必要なのでは?
その時期こそ、一歩間違えたら大きな危険や障害につながりかねません。

子育ての仕方を、ネットで探している場合じゃないんです。
〇ャレンジの付録で勉強している場合じゃないんです。
そこは大事なところなんだから、最低限、ちゃんとしたクオリティのものが周知される、もしくは教われる環境が必要だと思うのです。

なぜ、各々の行動力やネットリテラシーに託されてしまうのか。

生涯に1度、2度のことは、改善されない(だからこのnoteを書きました)

僕の理想が現実とかけ離れている理由の一つとして「生涯に1度、2度くらいのイベントは、改善されない」ということがあります。

どういうことかというと、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ってことです。

というか、のど元過ぎた後も、考えるべきイベントに忙殺されて、文句を言っている暇がないという方が正しいかもしれません。

また、なんとか乗り越えた人たちの生存バイアスがあるのかも。
「私も苦しみながらなんとかできたんだから、あなたもできるわよ~」的な。

それはそれで素敵なことなんですが、
それが積み重なると、頑張ることが当たり前の社会になりかねません。
そして、課題がスルーされ続けていきます。

だから、どんなに稚拙だろうと意見を述べる、声を上げることは大切だと思うのです。



・・・といっても、僕もあまり大した大義も志も持っていないのですが、妊娠・出産・子育てを初めて経験したときのモヤモヤは残すべきだと思ったので、気持ちの熱さそのままに書きなぐらせて頂きました。

別にこれを国や行政に伝えたい!という熱量まで無いのですが、ただ叫びたかっただけです。
この「叫びたい!」という気持ちは今しか持てない気がしたので、書きなぐりたかっただけです。

というわけで、今宵は十分叫べたので、終わりたいと思います。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました🙇‍♂️



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