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娘への手紙

こんにちは。シゲです。
とっても久し振りに「つぶやき」ではない記事を綴ってみようと思い立ちました。

ノートモの「てんぱんだ」さんの修士研究に協力したときに出された課題として、「感謝」をテーマに手紙を書くことになり、最愛の娘に向けて書くことにしました。

中学1年生までは何の問題もなく順調に育っていた娘ですが、2年生の途中から変調を来して以降、色々な騒動が巻き起こりました。
今では すっかり復調し、いよいよ独り立ちすることになったので「お祝い」のメッセージの意味も込めて、この手紙を書きました。

以下は、その手紙からの引用です。(恥ずかしながら公開します。)
ご一読いただければ幸いです。なお、娘には公開を承諾してもらっています。

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○○へ
あと10日ほどで△△に引っ越しなので、良い機会だと思って手紙なんぞを
書いてみようと思いました。
「独り立ちする娘に向けてのメッセージ」としては あまり ふさわしくはないかも知れないけれど、父からの「贈る言葉」にしたいと思います。

今になって思い返すと、色々な思い出が頭に浮かんできますが、○○に一番に伝えたい言葉は「感謝」です。生きていてくれて本当にありがとう!
 
中学校2年生の頃に突然、学校に行けなくなりましたね。それまでは、とても活発で元気で明るく育ってくれていたので、とてもショックでした。
ちょうど その頃、私がメンタル疾患で休職していたので、「私の言動が○○を こんな状態にしてしまったんだ」と思い、落ち込んだときもありました。でも「そんな姿を娘には見せたくない」との思いで、特に○○の前では気を張っていました。

起立性調節障害と診断されて病院に通いましたが、あまり改善が見られない
状況が続きましたね。保健室登校のために送り迎えしたのが懐かしいです。
中学校の担任の先生方が家に来てくれたことが何回もありましたね。とても申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが入り混じっていた憶えがあります。
でも、卒業式には ちゃんと出席してくれましたね。担任の先生が涙を流して喜んでくれているのを見て、たくさん もらい泣きしました。

通信制の高校へは ほとんど通えなかったけど、年1回のスクーリングには頑張って行けたし、卒業もできて本当に良かったです。
アルバイトも頑張って(突発的な体調不良の時以外は休むことなく)行けていたので、とても安心したし、嬉しかったです。

心療内科にも通院しましたね。最終的には主治医に話をするだけになっちゃったので、通院や服薬治療して良かったのかどうかは分かりませんが、結果オーライです。

ODとか自傷行為をしてしまったこともありましたね。あの頃は、どうしたら良いのかが自分でも良く分からず辛かったんだね、きっと。
1週間に何回も救急車を呼んだときもありました。「アセトアミノフェンの摂取量が致死量を超えている」と聞かされたときは、本当に生きた心地がしなかったです。

でも、その後は体調も安定して、アルバイトも派遣の仕事もキチンとやってきたので、もう大丈夫だと思っています。安心 安心。
 
思い返すと、本当に色々なことがありました(書きだしたら終わらない)が、韓国への語学留学を無事に終え、今、正社員としての就職に向けて、旅立とうとしていますね。

これからも色々な辛いことがあるかも知れませんが、健康でいれば大丈夫です。もっと言えば、生きてさえいれば大丈夫です。辛くなったら言ってください。聴くことしかできないかも知れませんが、経験値だけは負けないほどあります。
ま、テキトーに頑張ってください。
 
今まで本当にありがとう! ずっと私の娘でいてください。
これからもよろしく!

父より

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拙い手紙を読んでくださり、ありがとうございました。
逆に娘から感謝されました。

休職や転職を繰り返し、今も自宅療養中で、父親らしいことが満足にできていないですが、就労支援A型事業所で勤めるべく動き始めています。
そして、英語を使う仕事に もう一度 就きたいという夢に向かって、毎日、英語の勉強をしています。
こんな姿を見ててくれてるといいな。

以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
また頑張って記事を書きますので、宜しくお願いします。
ではまた。See  You!

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