音楽の役割(part2)。

音楽の歴史をたどると古代ギリシャまでたどり着く。
楽曲として譜面も残っていて再現できるのはそこいららしい。
日本では古代に音楽があったことが分かってるらしいがどんなメロディーや曲調であったかは分かっていない。奈良時代に仏教音楽が伝来、平安時代になって楽器が用いられ雅楽が確立される。

それっぽい成り立ち歴史はこれくらいにしておいて音楽が自分の生活やこころにどう影響しているかを述べて行きます。

1.高揚と沈静

まず聴いていて気持ちが上がる下がるなんてのは役割のひとつであって、それはビートであったりメロディーが気持ちを高揚させたり沈めたりするのだが、もちろん歌であれば歌詞、そこで使われる詩、言葉が気持ちに作用する、それを感情誘導(効果)というらしい。
詳しく知りたい方は「音楽の気分誘導効果」で調べてみてください。
研究結果とかあると思うので。

実際激しいビートの曲を聴くと早く行動するし、ラウドなものや怒りを表現した歌詞などを聴いて行動すると雑で激しい行動になる。
掃除中にパンクロックやラウドロックを聴いてるとツービートで早いBPMの曲だとさっさか動く、ただ物の移動とかがゴミ捨てが雑になったりなるのも確かである。運動でもウエイトトレーニングとか格闘系の追い込みには激しい音楽適してると思う。
スケボーとかスノーボードの多くのビデオにも多くのロックがBGMと使われていてその記憶からテンションが上がりトリックしたくなる、メイクできるかは別である…。
学生のころから聴いているアメリカの西海岸パンクバンド”NOFX”もそれらのビデオでBGMでよく使われていた。
今年で解散と聞いていてアメリカではツアー真っ最中だが日本に来てくれることを切に願う。直接観たのは1995年のリキッドルームがいまの恵比寿でなくまだ新宿にあったころそれもビルの4階とか?だったの最初で最後。
そうフロントアクト前座がハイスタという今では考えられない小さい箱で二つのいまとなってはビッグなバンドが観られたのだ。
スノーボードのビデオ1993年Fall Line Films
Roadkill

このビデオ観ていたらスケボーとスノーボードしたくなって来てしまう。
音楽も記憶と密接に関わっていて、曲を聴いてあのときあんなことこんなことしてたなーってのあるでしょ?

2.共感と依存

各人、好きな音楽のアーティスト、お気に入りや推し…などいろいろ呼び方もあるだろうけどいるでしょ?
その人たちの音楽を中心としてビジュアル、言動、行動すべての情報が自身に影響を与える。通信も流通も無い時代は音や楽譜だけがそれであったわけだろうけど。現代は通信もアプリケーションも発達しちゃってメディアこそまだモノとしてあるもののリリースする前から配信で聴ける。MVもそうだ。最近ではYoutubeが高解像度で再生できることもあってメディア円盤にMVを載せないアーティストもいる。
現状を説明する必要もないか。

見出しの"依存"について

Part1でも書いたけど自分は四六時中音楽に鳴らしてる生活。
たまに友達と飲み行っても骨伝導イヤホン付けたままもあるけど会話の方が楽しくなるのですぐ外す。
かなり音楽は刻み込まれてて在って当たり前で無いと寂しい。
運転中、入浴中、いろいろな作業中。
それらは音楽全般が生活の環境として依存。
出掛ける際にイヤホン忘れて戻る時間も無いと沈む、BGMはBGMなんだけどバックで掛かってても他の作業しててもフロントであって自分の中心に存在するんだよね。

環境ではなくソース、音楽コンテンツとして個々のアーティストってなってくるとより深い話になってくるよね。
なんでそのアーティスト聴いてるの?って
チャートにいるから売れてるからみんな聴いてるからってが大体と思う。
でも聴き続けるには理由があって、歌詞、メロディー、ビジュアル、CDなどその他マーチャンダイズが好きってのもあるでしょ。

恋愛系のアーティストのなんて、わかりやすくてその歌詞の環境、世界観に共感して聴いてる、憧れてるのもあるでしょ。
aikoなんて昔良く聞いてたけど、恋愛なんて本質とパターンはそんな数無いのに、いろんなシチュエーションで自分の過去の経験を再現?今?未来?を想像させる歌詞書くから今でも褪せないんだろうな。
薄い考察ですまない。
でもaikoは成功した恋愛より失敗した恋愛のほうが曲が多いし、良い曲もあるかなと。
同時期にスガシカオを聴いていたこともあって、彼の詩の場合、人生の挫折も多くTOKYOな雰囲気、空気感を感じさせる歌詞も多く、あとダメなずるい大人、ずるい恋愛、その果てに大失恋をFUNKの音、ビートに載せるから面白い。楽器少な目のじめじめした曲もたくさんあるが。

恋や挫折はもちろん成功でもなんでも良くて自分が共感できたものをお気に入りにしていく。

そしてロックについて
反抗抵抗の象徴になっちゃってるてか
レベルミュージックとして機能してるかなど定義はおいておいて自分との関わりを中心に。

中学三年のころにパンクロックと出会うのが、その直前は尾崎(豊のほうね)を聴き、その前の歳中一のときは吉川晃司…またそれそうなので少しに留めるがチェッカーズ派ではなく吉川派だったのだ。ロックではないものの中一の私には彼がロックスターに見えていた。

中三になってパンクを聴きアナーキーだ戦争反対なんてキーワードに吊られ、髪を刈り上げモヒカンにしたり、服を破いたり、Gパンを漂白したり、買ったばっかの革ジャンに鋲打ったりし、パンクである、パンクでいることに悦に入ってた中学三からの数年。当時ギターも手に入れたけど、パワーコード万歳な演奏しかしてなかった。
そして80年代ハードコアパンクのGAUZEなんて聴いてたから攻撃的で説教な歌詞ばかりでも10代の多感な私はこれが正であり行動指針になっていた。
これを例にとっても中高の子供にとっては音楽にあるメッセージはろくに咀嚼せず自分の血肉になるので怖いなと。
当時パンクロックの歌詞に共感していたのかというと?だが、はけ口の無いフラストレーションを解消してくれるのはパンクロックの攻撃的な歌詞だった。パンクロックというジャンル、虎の威を借りて周囲にマウント取っていたのかもしれない。
当時の10代の自分自身にも不満だったろうし、子供の時分に持てる武器がそそれだったのだ。

とはいえ共感しなければ、聴き続けないのも事実であり、それが形だけのレベルミュージックで無ければただの騒がしい音楽になるので、いい歳になった私は選別して聴いている。
共感する=応援(推す)、それが作者に返りまた良いものが自分に返ってくる※現役アーティストに限るが。

音楽にもいろんな種類があって、どのジャンルにもどのアーティストにもハマる理由があって、自分のこころを代弁してくれたり、なりたい自分、希望をもたらしてくれる。
共感しつづけて、それが中心になりすぎると依存になるのかなと。

最後薄くなったけど、そのうち特定のアーティストを例にお話しできればと。





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