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歌舞伎と絵には切っても切れない繋がりがある ~歌舞伎座にて「東海道四谷怪談」を見ました~

それなりにお金がかかるので滅多に歌舞伎を見ることはできない。またこのコロナの状況ではおいそれとは行けなかったが、家内がずいぶん前から予約し楽しみにしていたのが、玉三郎と仁左衛門が共演する「東海道四谷怪談」、例のお岩さんの恐ろしい復讐のお話である。

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いつもならきらめくように美しく艶やかな役を演じる玉三郎だが、今回は真逆の恐ろしい情念の役を演じる。

毒薬によって顔面が恐ろしい顔に変わったお岩さんが、伊右衛門と共謀して毒薬をもった隣人を訪ねるために、お歯黒を塗り、乱れた長い髪を櫛ですくたびに大量に抜け落ち、音楽も静かなものになり、とても怖く不気味な雰囲気。前かがみになって顔を隠し、長い髪をすいた後すーっと顔を上げた小岩さんの表情の怖わーいこと!

玉三郎圧巻の演技であった(本当に怖い!)。歌舞伎座の正面に描かれている絵看板を見ても、お岩さんの怨念がじわーっと感じられる。

ところで、この歌舞伎座の絵看板を描き続けてきたのは初代清信の頃から歌舞伎絵を得意としてきた鳥居家の絵師たちとのこと。鳥居派は元禄の時代からおおよそ300年にわたって歌舞伎の絵看板を手掛けてきたことになる。9代目にあたる女性画家、清光さんが鳥居派が描く伝統を絵看板に今も生かし続けていたようだ。

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「鳥居派は力強い線だけで表現しますが、線だけを意識すると体がなくなってしまう。線の中に体が入っているというように描く。鏑木清方の弟子だった父(清忠)の手を見て覚えましたが、今も七転八倒しています」。10数年前の新聞記事に出ていた清光さんの言葉だ。

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この清光さんも今年の5月に83歳で逝去されたらしい。後継はいなかったとも聞くので、今後鳥居家、そして歌舞伎座の名物である絵看板は誰が描いて行くのか?

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久々に歌舞伎を見たので、少し役者絵のことを書きます。

役者絵は当時ブロマイドのごとく江戸の庶民に売れていたとのこと。売れっ子役者や自分のお気に入りの役者の絵を買って、うちわに貼り付けたり、ふすまに貼り付けたり、いつも懐に入れて楽しんだりと、芝居と役者絵は切っても切れない縁だったようだ。

それで思い出すのが我々の青春時代の「平凡」と「明星」だ。当時のアイドルが表紙も中身も飾った月間のアイドル雑誌。人気アイドルのブロマイドも売れており、江戸時代の人たちにとっての役者は、まさに平凡、明星に出てくるアイドルそのものだったに違いない。

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私は浮世絵を研究したわけでもないし、その歴史に詳しいわけでもない。しかし浮世絵が好きだ。北斎や広重の風景画も好きだが、当時のアイドルを描いた大首絵も好きだ。なぜなら表情が豊かで茶目っ気たっぷり、着ているものを色鮮やかでとても魅力的だ。

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こんな優男だったら江戸の女性たちが夢中になるのも理解できる。団十郎の助六、本当にカッコいい!

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四谷怪談のこんな絵も本当に楽しい!

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この日本の浮世絵は、同じ頃芽生え始めていたヨーロッパの印象派の画家たちに大きな影響を与えた。今まで王侯貴族や神聖な人物画ばかりであったヨーロッパにおいて、今あるものを見たままに人間くさく、庶民的に描き出した浮世絵は実に新鮮に写ったに違いない。

影響を受けた代表がモネであり、ゴッホであった。モネが晩年を過ごしたジヴェルニーのアトリエは、収集した浮世絵でいっぱいだったらしい。更にモネは自分の妻カミーユをモデルに「ラ・ジャポネーゼ」という浮世絵らしきものを描いている。着物の武者絵がとてもリアルである。

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そろそろ緊急事態宣言も明けるので、歌舞伎の次は美術館を訪ねたいと思う。いま浮世絵の展示を開催している美術館はないかな。早速検索してみようかと思っている。

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