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山崎豊子「運命の人」を読んで。

感銘した、とか、涙したとか、良い小説を読んだ後の感動は、自らの中に「よし!自分も頑張ろう」などという活力であり、新たな知識や知恵を得た喜びであり、心の琴線に触れた感動であり高揚感などだ。しかし、山崎豊子の小説を読んだあとの読後感はちょっと違う。考えさせられてしまう。自身の中に課題を突き付けられ、もっと知りたい、いや知らなければというような感覚だ。

「大地の子」や「不毛地帯」のときもそうだった。実際に起きた事件、史実をもとに独自の徹底した取材でストーリーを形成していく。身近な歴史の中にありながら今まで接する機会がなかったり、真剣に向き合い考えてみる機会がなかった出来事が突然自分の前に現れ、眼前に見せつけられる。いずれも人間が歴史の道程の中で、苦しみ、悲しみ、未だ解決を見ないものもある。

私も以前の仕事で沖縄へ数回行ったことがある。しかし日本で唯一の地上戦が行わた地(20万人もの人々が犠牲になったというのは筆舌に尽くしがたい)、いまだ在日米軍基地の75%が集中している地、常に騒音や墜落の危険にさらされている地、という見方で訪問したことはない。結局は何も知らなかったのである。米軍基地があることによる事故や事件は数多く起きている。ある意味、本土の平和はこのような沖縄の犠牲の上に成り立っているともいえる。

元新聞記者である主人公の弓成亮太は、沖縄返還に伴う外務省機密漏洩事件の取材で真実にせまりながら、取材方法のモラルを欠いたという本筋とは違う観点で判決を受け、最高裁で有罪が確定してしまう。その後心身ともに荒れ果て、家族とも離れてしまい、流れ着いたのが沖縄の地。そこで弓成は取材や書類上だけでは知りえなかった事実や沖縄の人々の心の傷を目の当たりにする。その史実と人々の苦しみを見て、弓成自身も人間が変わっていく。

最後に弓成が「自らの意思で選んだ道程ではなかったが、そのように運命づけられているなら、使命を果たそう。書く時間はそれほど残ってはいないが遅くはない」と語る。まさに運命の人になる。これは作者山崎自身が弓成に託して日本国民に沖縄のことをもっと知ってほしい、知る義務があると言わんばかりである。

コロナが治まったら、家内と沖縄へ行ってみたいと思う。残念ながら琉球文化の象徴であり、沖縄の人々の心の拠り所の一つであった首里城は2年前に焼失してしまったが、いまは復興計画に基づき復興の途上のようである。ひめゆりの塔はじめ戦争遺跡が数多く残っている。「運命の人」を読みそれを見てみたい、感じてみたいと強く思う。

一方、このような史実の体験だけではなく、その地に根付く文化を堪能してみたい。長年外食に携わってきた身としてまずは食文化だ。大好きなゴーヤチャンプルーなどを本場で味わってみたい。ソーキそばやミミガーなどという独特の料理に舌鼓を打ちながら、地元の泡盛や、オリオンビールをグビっといただきたい。

そして音楽だ。シンプルで飾り気はないが、心にリズミカルに響き入り込んでくる三線に合わせて「涙そうそう」や「島唄」を聴きたい、そして歌ってみたい。文化も人も歴史も、その地へ赴き体験して初めて本当の理解と言えるのかもしれない。


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