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HSPを辞めて繊細になった理由

「やっぱり私はHSP傾向だったんだ」
「生きづらさはこれだったんだ」

5年ほど前にセッションでこう言われた。
「あなたはHSPだね」
頭には? が浮かんだ。

「物事を深く考える」
「他人の感情に共感する」
「小さな変化に敏感である」
HSPはこのような傾向がある。

繊細なんだねと言ってもらえ、
言葉にできない感覚を言葉にして
共感してくれた。安堵感を感じた私は
知らぬ間に涙を流していた。

子供が離ればなれになった母を探して
旅を続け、やっと出会えた時の感動に
近い胸の奥から込み上げる安心感を感じた。

アメリカ心理学者が作成したHSPテストを
やってみたら6割ほど該当する結果だった。

「やっぱりそうなんだ」
「これが私なんだ」

初めて客観的に言葉で感覚を言葉にして
やっと自分を認めることができた。

幼少期に持病を抱えた私は、親に見捨てられないように
いつも親の顔色を伺って育った。

弱者のような価値観を握りしめた私は、
大きな存在となった母親を疑うことはできなかった。

まさにマウントされて立ち位置を刷り込まれた
劇団の猿のように見えない紐に操られていた。

やがて病院に通うようになると、
母親の存在は医者に取って代わった。

見えない紐が薄れていき、自由を
感じられるようになった。

繋がれた紐を失った私は、心に隙間が
空いたようなふわふわとした学生時代を過ごした。

「何かがおかしい」
「でも何がおかしいのかわからない」

私は正解を探して占い、宗教、スピリチュアルなどに
のめり込んでいった。

いくら探しても正解はなかった。
心の拠り所を失った私は、ありのままの自分を、
受け入れることができなかった。

私は言葉にできない気持ちを理解されないと、
嫌われているのではないかと考えていた。

「なぜ不安を感じているのだろう」
「いつも人の顔色をうかがっているのは、
なぜだろう」

心の中にある葛藤に気づき、
カウンセリングを受けたりしたが、
得られるものはなかった。

心と体のズレを感じたまま、
人生の後半を考える年になった。

HSP関連の本が本屋の心理系の棚に
ずらりと並んでいた。10冊以上の
心理系やHSPの本を読んでみたが
迷宮に入っていくばかりだった。

あらゆる対処方法が書いてあり、何を知れば
解決につながるのかわからなくかっていった。

心理学に沼っていき、やがて悩みが増えて
抜け出せなくなっていた。

「どこまで学べば楽になるんだ」
「どうしたら悩みから解放されるんだ」

心理を学んでわかったことは、傾向と対策で
解決するものは、どこにもなかった。

ただ、唯一心理学から得たものがあった。
それは認知行動療法だった。

メンターは、私にこう言った。

「いつまで色眼鏡で世界を見ているんだ」
「言葉にしないと世界は見えないぞ」

私はメンターに言われた言葉をいくら
受け取っても、初めはその意味さえ
理解できなかった。
言葉が右から左に流れていくだけだった。

自分の思考と行動を紙に書き出して言葉にしないと
理解できないと幾度となく、説明してくれた。

自分の気持ちや考えを言葉にすることに
私の興味が湧いてきた。

メンターの言葉の端々に解決にヒントがあると
私は直感で感じた。

世界は構造があり、見えない仕組みでできている。

感覚や感情を価値基準としてきた私は、
彼の言葉を理解するまでに、3年ほどの月日が経った。
考え方と言葉の使い方を知らなかったのだ。

私の理解の度合いが、徐々に変わっていった。
私の繊細さとは、わかってほしいという承認欲求を
求めて、人の顔色を伺って考えすぎていたこと。

日本人の繊細さとは、気質として本来備えている
才能である。それは日本の歴史や特性日本人の細やかな
視点や技術、作法などからわかる。

私の中で何かが変わり始めた。
世界は見えない仕組みでできている。
西洋哲学から言葉と思考を学んだ。

私の見える世界が変わったのだ。
そこにはこれまで私が信じてきたものとは
全く違う世界だった。

私はHSPではなかった。繊細だったのだ。

それまでの私の悩みは、シャボン玉がパチンと
弾けるかのように消えていった。
長年感じていた不安は、蝋燭の火が消えて立ち上った
煙のようにどんどん小さくなっていった。

モワッと感じていた不安や恐れ、生きづらさは、
湯船の上に漂う湯気が風に吹かれたように消えていった。

繊細について言葉にしたことで理解できた。
真実を捉える考え方と正しい日本語の使い方を
学んだことで私はHSPを卒業した。

繊細な私でいることにOKだと、
自信を持っていえるようになった。

見えていなかったものが、しっかりと見えるように
なった。ありのままを見られるようになった。

感情を価値基準として考えるのではなく、
言葉を理解して、自ら考えるようになった。

「もっと早く知りたかった」
「やり直しは何歳からでもできる」
そう私の心が叫んでいた。

HSPは、幻想でしかなかった。
アメリカの心理学者がどのような被験者を
対象に調べたのか不明だが。

その中にどのくらい日本人がいたのか
それすらもわからないのだ。

この事実をありのまま捉えられたことで
私はHSPを卒業して、繊細になった。

言葉と思考を正しく使えば、
私たちはいつでも自由になれる。



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