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大切な人の特別な存在になる唯一の方法~愛の妖精~
「特別な存在」という言葉はなんて甘美なのだろう。誰かのお役に立てるということだし、何と言っても自己承認欲求を満たしまくってくれる。
それに、自分の大好きな彼や彼女にそう思われていると、フラれることはまずない。安心して幸せなパートナーシップを築いていける。とは言っても実際のところとても難しいのが「特別な存在になること」なのである。
狭き門ではあるけれど、特別な存在になれなくもない。では特別な存在になるためにはどうすればいいのだろうか。
実はその答えらしきものを、小説「愛の妖精」で発見した。「愛の妖精」はショパンの最後の恋人と言われるジョルジュ・サンドが書いたものだ。
詩人ミュッセとの恋でも有名な恋多き女サンドが書いたものであるから、尚更信ぴょう性が高い。
この物語のみどころは、双子であるランドリーとシルヴィネの兄弟愛の葛藤と、好青年が嫌われ者の美しくもない女になぜ心を奪われたのかというところ。
まず、兄弟愛であるが、ふたりが禁断の愛に入り込んでいるということではなく、この物語に描かれている兄弟愛のすれ違いこそが「特別な存在」になる方法を教えてくれるのである。
ざっくりと「愛の妖精」の要約をお話しよう。
舞台はフランス農村地帯。こおろぎと村人から呼ばれて嫌われている薄汚く性格も悪いファデットと容姿端麗で性格もよく仕事ができる将来有望な好青年ランドリーとの愛の物語。
興味がないどころか苦手だったはずのファデットにどんどん惹かれていく様子が面白い。
ふたりが順調に愛を育んでいくのかというと、そんなわけはないのである。やはり結ばれるまでには、色んな邪魔が入るのだ。
おじゃま虫の筆頭は、ランドリーの双子の兄シルヴィネ。双子であるから見た目はそっくりなんだけど、性格は対照的なふたり。
物語の前半はふたりの仲の良さや対照的な性格について淡々と描かれている。あらゆる出来事において、捉え方が全く違うふたり。
全然違うわけだから、相手のとった態度に対する解釈の仕方も歪んでくる。そんなわけで、どうってことないことで溝が生まれ、面倒くさいことになってしまうのだ。
兄のシルヴィネは心が弱く、事実を受け入れるのが苦手でうじうじ悩み考えこんでしまうタイプ。視野が狭く自分のフィルターを通してみえたことが全てだと思っている。
一方弟のランドリーは兄と真逆の性格。
こんな双子の兄弟に人生初の試練が起きる。どちらか片方が出稼ぎに出なければいけないというのだ。
その時ランドリーはこのことは絶対であり覆せることではないと悟る。兄にこの荷は重すぎるから自分がその役を買って出ようと決意し実際そうするのだが、シルヴィネは事実を受け入れられず鬱々とした日々を過ごすことになる。
過去の思い出に浸っては心を締め付けられ、いつまでも今に目を向けることができない兄シルヴィネ。前を向いている弟のことを、冷たく白状な人間だとさえ思ってしまうのだ。
ランドリーがホントに白状なのかと言えばそうではなく、悲しんでいるけれどもそれを表にださず、自分なりに消化しているだけなのだが、そのことには全く気付かない。
それどころか、新しい生活でできた弟の人間関係に嫉妬心すらおぼえ、自分のことはもう愛してないのかもしれないと思う始末。
ランドリーが出稼ぎに出ていなくなった後も、休みのたびに弟のところに出かけていき一緒に過ごす。そして弟と関わる全てに嫉妬しまくり帰り際、嫌味をこんな風にいうのである。
「今日はもう俺の顔もみあきただろう、たぶんもううんざりしてたのかも知れないな。俺があんまりいつまでもいるんで、しびれをきらしてたんだろう」
うん? これはもしやメンヘラ女子と同じ精神構造ではあるまいか。
悲しい物語を紡ぎ出し、カマってカマってと騒ぎ立てる。
こんなことをしていると嫌がられるのは時間の問題でありる。
そりゃそうだろう。本当は新しく出来た友達と遊びたいのに、それを我慢して時間をつくっていたのに、その愛情に気づかず増長し要求が強くなってきたわけだから。嫌がられるのは当然の成り行きと言えるだろう。
それに、昔兄と遊んだ遊びはランドリーにはもうちっとも面白くなかったのだ。新しい世界を知り、今まで知らなかった遊びも覚えたランドリー。出稼ぎという試練でランドリーが成長しているのとは対照的に、時が止まり何の成長もみられいない兄がとても痛々しい。
こんな風に悪い見本がであるシルヴィネが「特別な存在になる」方法を教えてくれる。
ポイントは2つ。
相手の価値観や考え方を受け入れ自分とは違うということを理解すること。そして、相手の立場になって考え、時と共に人は変わっていくものだということを知ることだ。
この2つができていれば、シルヴィネはこんなに兄弟愛をこじらせ、病むことはなかったはずだ。
相手を理解し受け入れるには、観察力が大切であるし、自分との違いをわかっておくことも大切である。
ただ注意点がある。相手を理解し受け入れるというのは、言いなりになることや同化することではない。
私のところに相談に来る方で多いのが、居心地がいいと言われていたのにふられるという不思議な失恋をする人達だ。
よくよく話を聞いてみると、自分の意見を持たず、彼の顔色をうかがって遠慮がちにしていたということだった。
このパターンは非常に多いんだけど、結局のところ彼を理解していたわけでもなんでもなく、つまらない女認定を受けてしまっただけ。
このことからもわかるように、理解して受け入れるとは、相手に合わせることではない。自分との違いを受け入れて相手を認めるということなのだ。
違う価値観同士をフュージョンさせると、あら不思議。
新しい価値感が生み出され、飽きられることなんてない。世界が広くなることで、逆に一緒にるとワクワクするのである。
自分のことを理解してくれおまけに視野が広がりワクワクさせてくれる相手を手放したいと思う人はおそらくいないはずだ。
兄弟愛から男女のパートナーシップを学べる「愛の妖精」。パートナーシップに悩んでいる方にお勧めの1冊である。
なぜランドリーが、嫌われ者で美しくもないファデットを愛するようになったのかということについては次回、書きたい思う。
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