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3-1 ミッション①「SE女子、都会に適応せよ」

 青春を謳歌した北の大地を離れ、生まれ育った土地に戻るわけでもなく、心機一転、首都圏という都会(とは言っても川崎)にSEとして就職し、飛び込んだ。飛び込んだはいいが、私はまず、人の多さに圧倒された。川崎駅は平日だろうと休日だろうといつでも人が溢れかえり、坂道の上から見える、構内を埋め尽くす頭の大群に、吐き気を覚えることもあった。でも、川崎である。都内からしてみれば、かわいいもの。それでも、私は眩暈を覚えた。

 私も、「山の動物だけが友達」というほどの田舎で生まれ育ったわけではない。名古屋駅まで電車で30分というベッドタウンで、今住んでいる場所に比べたらはるかに都会。大学は札幌市内の、それも比較的札幌駅近くのアパートで一人暮らしをしていた。100万人都市には慣れているつもりだった。でも、所詮は田舎者だ。私には名古屋や札幌が限界だったのだ。


 私は首都圏で「社会人」になった。休日に友達と名古屋に遊びに行った高校時代とも、ラッシュの時間は避けて行動できた大学時代とも、違うのだ。私は社会の歯車となり、言われた時間に出社し、仕事が終わったら帰らねばならなかった(時々帰れなかったけど)。

 それでも、最初は本社まで自転車で通勤できる寮に住んでいたので良かった。朝の(多少排気ガスにまみれた)気持ち良い風を浴びながら出社し、新人研修の間はほぼ定時で退社。帰りは同期と飲みに行ったり、休日は川崎へ買い物に行ったりした。立ち並ぶお洒落なお店。お洒落なカフェで一息ついて、友人とおしゃべり。都会を満喫している、つもりだった。


 そうそう、私が北の大地を飛び立とうとするその日に、滑り込みで告白してきたので保留ボタンを押しちゃった現旦那とは、結局付き合うことになった(だから、今があるのだが)。「SEはSE同士でなくては結婚できないと言われるくらい、忙しい」というまことしやかな噂を聞いていたし、いきなり遠距離で「どうせ駄目になるんだろうな」と思うと一歩が踏み出せなかったが、友達に「気になるなら付き合ってみればいいじゃん。ダメになったら、その時別れればいい」と言われ、「それもそうだ」とその気になって、2週間ほど後にOKの返事をした。あの友達には、今となっては感謝してもしきれない。

 いきなり遠距離恋愛だったが、羽田空港と千歳空港は飛行機の便数も多く、またその分競争も激しくて、早割などを使えば、かなりお得かつ楽に行ける。そのため、私たちは一か月に一度、交代で川崎と札幌を行き来できた(ただ、早割なので、喧嘩して行かないってなると無駄になるので注意)。そして、札幌へ遊びに行くと、無意識の内にかなりほっとしている自分がいた。知らず知らずのうちに、首都圏生活に私はかなり気をすり減らしていたのだった。


 ところで、SEについてちょっと解説しておくと、SEとは「システムエンジニア」の略称であり、かなーり簡単に言えば、コンピューターシステムを設計したり、作ったりする仕事人である。しかし、一口に「コンピューターシステムの設計・作成」と言っても、実際の仕事内容はかなり多岐に渡り、ずっとコンピューターに向かって黙々とプログラミングをする人もいれば、顧客からヒアリングするのが専門で、あまりコンピューターを触らない人まで色々いる。私はどちらかというと、「でっかいプロジェクトに関わりたい」というタイプではなく、顧客をヒアリングし、システムを設計し、それを作成することまで一通り自分でやれるような仕事がいいと思い、全てを同じ人が担当できる小規模プロジェクトの多い部署へ配属を希望した。

 新人研修が終わり、私は希望通りの部署へ配属となり、希望通り、派遣の人も含めて10人程度の小さなプロジェクトチームに入った。ただ、これはプロジェクトの大小に関わらないが、顧客の会社のシステムを作成する以上、作業のほとんどは顧客の会社内で行われることが多く、SEのほとんどは本社にいない。私もご多分に漏れず、顧客の会社のある新橋まで通うことになった。脱川崎。ついに都内へ進出。最初は「これで私も都会の女」などと田舎者丸出しに浮かれていたが、ここで私は社会の荒波と同時に、物理的に人の荒波に揉まれることになった。

 かなり早い段階で通勤ラッシュにめげた私は、かなり早い時間に家を出て、一番ひどい通勤ラッシュ時間帯を避ける戦法に出た。フレックスタイムなどというかっこいい制度は、もっと勤続年数が伸びないと使えない。ラッシュを避けるため、出社予定時刻の一時間以上前に到着し、私はそこらの店でコーヒー一杯を頼み、勉強したりしてその一時間を潰した。スター〇ックスが主な私の生息地だった。ちなみに、よくイヤホンをつけて英話の勉強をしていたが、そのほとんどは睡眠学習となった。朝から。

 そんな生活に、本来は長時間睡眠が必要で、人が多い場所は苦手なはずの私の心身は徐々に蝕まれていったのだが、「社会人とはこういうものだ」「都会で朝早くから夜遅くまで必死に働く自分かっこいい」と当時の私は勘違いしており、すっかりSEをしている自分に酔いしれて、自分の体の不調に気づかずにいた。率直に言えば、「体を壊すほど頑張って仕事をすることは素晴らしい」と心のどこかで思っていた。


 そんなある日、会社の健診で、婦人科系の病気が見つかった。新橋に通うようになって数か月経ち、ようやく仕事にも慣れてきた頃だった。入院などは必要でなく、薬を飲めば良い程度の病気だったが、その薬の副作用が強く、毎日吐き気に襲われ、私は満員電車の中で必死に吐かないように上を向いて立っていた。酸素不足の金魚状態。私は、上司との定期面談の時に、ちょっと相談くらいの気持ちで現状を説明した。すると、即日私はプロジェクトチームを外され、本社で作業できるプロジェクトに入れられた。新人で責任ある立場でなかったから、即異動ができたのだろうが、あるいはかなり顔色が悪かったのかもしれない。

 それでも、私は「社会人はこんなもの」「都会ってこういう場所」と思い続けていた。自分が都会に全く適応できていないことに気づかなかった。


 「自分は何かがおかしい」と気づいたのは、渋谷に行った時だった。顧客の会社での作業のために、時々渋谷へ行くことがあったのだが、かの有名なスクランブル交差点が、一回の信号で渡り切れなかったのだ。前を歩く上司の背中がどんどん遠ざかって行く。最後のほうは、必ず歩行者信号が点滅してしまい、渡り切るのはギリギリか、ちょっとアウト。人とすれ違うのが怖くて、避けてばかりいるため、なかなか前に進めないのだった。

 それでも、私は相変わらず、「渋谷ってそんな場所」と思った。「みんな、あのスクランブル交差点には苦戦しているのだ。みんな、渡り切れないでいるのだ」と思っていた。ところが、ある日、大学の後輩と都内で久しぶりに会って飲んでいた時、「渋谷の交差点って、渡れないよね」と私はつぶやいたら、こう言われた。「おかしいですよ、それ(笑)」

 おかしい?え?みんな渡れるの?私がおかしいだけ?

 そういえば、以前職場の人と何か雑談していた時に、年上の人から「お前、首都高走れないだろ」と笑われた。「首都高どころか、下道だって無理ですよ」と笑って言い返したが、もしかしたら、私、人とは何かが違うのか?何かがおかしいのか?

 都会になぜかいつまで経っても適応できない自分、人とは何かが違う自分を、私は初めて認識することになったのだ(逆に言うと、それまで本気で「普通」だと思ってた)。

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