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【ハーブ天然ものがたり】くろもじ


花・蜜のような香しい樹木


老舗の和菓子屋さんで一服するときにでてくる、黒柄の爪楊枝。
それが日本に古くからある落葉樹、クスノキ科のくろもじ(黒文字)であると知ったのはハーブの勉強をしてからでした。
楊枝をクロモジと呼ぶ風習も知りませんでした。


*本日の記事は過去記事からの抜粋、リライトになります。


アロマテラピーの資格を取得したのは23年ほど前ですが、当時はまだ日本国内でアロマテラピーは胡散臭い代替療法のひとつだったので、市場も今ほど活況を帯びておらず、くろもじの精油はなかったと記憶しています。

とはいっても、花のような柑橘のような、柔らかい香り成分をもつくろもじの枝を、古くから爪楊枝として活用してきた日本人の感性はやはりすばらしいです。

香り成分には殺菌作用、抗ウイルス作用があり、枝葉を煎じて飲むクロモジ茶や、肩こり腰痛、関節痛によいとされる入浴剤は、おばあちゃんの知恵袋のひとつです。

くろもじは油分が多いので、水をはじく性質を利用して、かんじき(いまで言うスノーシュー)の材料としても使われてきました。
もちろん燃えやすいので、火おこしにも便利だと思います。


香りある植物は邪を払う


香りのある植物を伝統的な儀式に用いてきた民族といえば、ネイティブ・アメリカンやチベット人などが思い浮かびますが、日本でも、もちろん植物は神事に欠かせない、神の依り代であり代理役です。

正月の門松、餅花、橙
削り花、やどりぎ
神社のシメナワ、祓のチガヤ
お月見のススキ
神棚のサカキ etc...

神木としてのさかきは、ほんとうはくろもじだったんじゃないか?と提唱したのは、民俗学者の柳田国男(1875年 - 1962年)です。

柳田国男先生著作集. 第12冊 (神樹篇) - 国立国会図書館デジタルコレクション

「神樹偏」より
東北地方では、山中に榊を祭る木として(くろもじが)用いられている。
狩りの獲物の一部をこの木に刺して、山神に供える習慣があるだけではなく、その名を鳥木、鳥柴と呼んでおり、この木に鳥をつけて人に贈り、神社の祭りにも捧げていた。
正月の餅花をこの木(くろもじ)の枝に刺し、餅花の木と言っているのも、祭木のひとつのかたちといえる。

鳥は魂の象徴と考えるなら、神木である樹によって刺し通すことは、ひとつのエーテル体によって貫かれた魂のクラスターのように見えてきます。
折口信夫がマナと呼ぶ外来魂・たま・現代風にいうとエネルギーを循環させるための式として、四季折々に祭りや行事があったのかな、と想像は広がります。

餅花は、枝に刺した餅がゆれることで「たまふり」となって、宙を飛んでいる「たま」と呼ばれていたエネルギーをペタペタとくっつけて、集めるためのカタチにのようにも見えてきます。

ゆれる動きにまぶしさを感じるポニーテール、ゆれるネックレスやイヤリング、ゆれる髪飾りや日本の着物のお袖も、ゆらゆらと揺れながら、見えない餅でできた粘り網のようなエーテル体をひるがえし、宙にただようエネルギーを絡めとってしまうカタなのかもしれません。

エーテル体は、肉体とアストラル体(霊体)のつなぎ材

(エーテル体は)境界線すなわちつなぎ目という作用なので、例えば、食材のつなぎ、そばとかハンバーグとかのつなぎ材を想像してもらうといい。
実際に日本では、エーテル体のことをお餅にたとえられることが多く、それはベタベタした粘り気のある物質と考えられている。
つなぎ材として不可欠な粘性がある。
それは速度の速いものに、速度の遅いものをつなぐのだ。
すると速いものから見て、べたべたした、まとわりつくものに感じられる。エーテル体は互いが干渉し合わないように、境界線におかれる金網のような構造であるとも説明されている。
しばしばヴェールという言い方もする。
エーテル体を身体の周囲に見ると、それはヴェール素材の薄い着物にも見える。

「エーテル体に目覚める本」松村潔


くろもじの枝でつくる餅花の伝統は、香りある邪を祓うくろもじの性質を利用して、よい「たま」、つまり福を集めるというような、けっこうシステマチックな縁起ものなのかもしれません。

柳田国男の神樹偏では、さらに

古人の自然観察はいたって親切であって
同時にその判断は簡単であった。
樹は上空に近いから神の宿り
枝の下へ垂れた木は地上に降りるために
特に選定せられた梯子。
***
榊葉の香をかぐはしき云々というような
この木に香氣があるという古歌の多いことで
今ある眞榊は葉の艶が美しく形もけだかいけれども
これには少しも香がない。

天地をつなぐ梯子として、植物を見ていた古人の感性の片りんは、現代社会でもかろうじて、門松や鏡餅などに継承されています。

門松は神さまの依代(よりしろ)、神さまが訪れるためのしるし、という意味と同時に、お供えものを供して感謝をささげます。
鏡餅はお供えものでありつつ、ご神体でもあります。
その上に鎮座する蜜柑は、マレビトたちの出入り門、ということではないかな、と。

*蜜柑、柑橘ものがたりはこちらの記事に綴っています。


現在市場に流通している榊としてのサカキは、ツヤッとして立派ですが、枝が香ることはありません。
さらに北国や雪国には生育しないので古典に詠まれた「榊」は別の木だった可能性があるのだろうな、と。
神事における世界今昔共通認識として、香りのある植物は邪気を祓うという定説にも、沿っていないわけです。

榊については、いつ、誰がどのように香氣のない現代のサカキを流布したのかはわかりませんが、香りがつなぐ記憶というのは、いつでも人知をひとっ飛びする、妙薬だと感じています。

竹や松、橙はそのまま縁起物として継承され、くろもじだけが入れ替えられたとするなら、くろもじが放つ香りというのは日本人にとってなかなかに重要なマレビトの梯子なのかもしれないな、と考えてしまいます。
日本人の古い記憶を呼び覚ます、妙薬なのかもしれません。


魔道具としての黒文字


植物が香気成分をもつ理由は、誘引効果、忌避効果、種が発芽できるまでの成長を守るため等々、現代的学術見解は出揃ったものの
「植物の香気成分は、依り代としての神々の梯子でありお座布団なのではあるまいか、その可能性を探求してみたい」なんて公の場で言おうものなら、ローカル社会からはすぐにはぶられてしまいます。

エビデンス最優先の学術界は、四季折々にしみじみと感じ入る、その感性云々とは全くの別社会、立ち位置がちがうので、意見をすり合わせるとか、話せばわかるとか、いっさいなくした方が、双方合理的にものごとを進められて、専門性もより高まると感じています。

それを同時進行で学びつつ、合体させてゆくのは個々人の自由なんだなぁと。
ハーブやアロマテラピーについては、どちらの学びもこつこつとつづけて、学術的な整理と、象徴性の探求を、縦糸横糸のように機織りしながら、時間をかけて紡いでいきたいと考えています。
そのタスキを、次の世代につないでゆけるよう精進する日々は、今生いのち尽きるまで続く、最後のとりくみになるのだろうな、と思っています。

どちらか一方では全体が見えないので、どっちも必要と思っていますが、「どっちが凄いか」的な議論に巻き込まれてしまうと、気持ちがぐったりして「たま」をごっそり消耗した気分になり、そんなときは回復栄養剤として養老孟司先生の著作に助けられています。
自戒を込めて戦後日本の歴代ベストセラー本「バカの壁」を読み返しつつ。

物事は言葉で説明してわかることばかりではない。

「簡単に説明しろっていうけれども、じゃあ、お前、たとえば陣痛の痛みを口で説明することができるのか?」

「わかっている」のと雑多な知識がたくさんある、というのは別のものだ

「バカの壁」養老孟司


くろもじの木に、黒文字という呼び名がついたのは、若い枝に黒い藻類が付着して、黒模様が文字にみえるから、という説がありますが「文字」というものも、線と線の組み合わせなので、エーテル体を表現するものではないかと考えています。

くろもじには、エーテル体を集める神木という意味が込められているのかもしれません。

ウィキペディア
「聖杯」 アーサー・ラッカム(1917年)
この時代のラファエル前派の美術作品は
しばしば霊体、オーラ、光の身体への同時代的関心を反映している


北海道にオオバクロモジという近縁種があり、この枝で作ったかんじきを友人に見せてもらったことがあります。
道央の山野を一緒にかんじきで散策した時、積雪が多い年で肩くらいまで積もっていたこともありますが、以前訪れた初夏のころ目にした風景とはまったくちがって、少しだけ空に近い視点は、雪がなければ味わえない特別なもの、と感じました。

土元素界から浮きあがって、水元素界の上に立っている感触も、かんじきがなければ味わえないもので、神の依り代である樹木は、空に近づく魔道具にもなるんだなぁ、と思いました。

☆☆☆

お読みくださりありがとうございました。
こちらにもぜひ遊びにきてください。
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