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朝ドラ「ちむどんどん」が迷走している理由 秩序と逸脱をめぐる考察

 返還50年前期の朝ドラは沖縄を舞台にしたもので、脚本家は羽原大介と聞いた時、私は大いに期待した。「パッチギ!」や「フラガール」などの名作を書いた羽原大介なら、きっと面白いものになるだろう・・・という期待は裏切られた。

 今や大迷走、朝ドラ史上ワースト1の呼び声も高い?!  そもそも沖縄の描き方が薄っぺらで、返還前後の描写もお粗末。東京で万歳をしている様子が流れただけ。沖縄戦について語る山場の場面も、それがヒロインの結婚話に無理やり繋げられて台無しになった。

 これは本当に羽原大介が書いているのか。もしかしてMHKから、政治に関わるようなことは書かないように釘を刺されているのか、あるいは羽原が書いた脚本をスタッフが手直ししているのかと、色々と想像を巡らせていたのである。

 しかし最近、違和感の正体が何となくわかってきた。羽原の脚本は、社会性とドタバタ劇がうまく噛み合わさっているところに、最大の特徴がある。しかし、「ちむどんどん」には社会性が欠けているため、ただのドタバタ劇になっているのだ。

 しかも、登場人物たちが良く言えば破天荒、表現を変えれば非常識でハチャメチャ。理解し難い行動を取るのである。これは今の時代を生きる日本人には受け入れ難い。観ていて苛々するし腹も立つ。

 悪人ではないが馬鹿な行動を繰り返す長男、行き当たりばったりのヒロイン、それら全てを許してしまう母親。「そんなバカな!」と視聴者は怒っているのである。

 だが、これだけ不評でも方針を変えないところを見ると、羽原は意図的に、こういう描き方を貫いているのかもしれない。というのは、ここが大事なところなのだが、あの時代には実際にこういう人たちがいたからである。

 信じられないかもしれないが、本当にいたのだ。半世紀前の日本社会は、今からは考えられないほどメチャクチャだった。児童虐待もDVも当たり前、だからニュースにもならない。

 恋愛結婚も多数派ではなく、親の決めた相手と嫌々結婚することもあった。大学の同級生たちは、帰省するとお見合い写真が待っていると嘆いていた。まだ少なかった四大の女子学生すらそうだったのである。

 ちなみに、女性は短大に行くのが普通だったから、大学はそれとは別に四大と呼ばれた。大学といえば、教授は酔っ払って授業をすることもあったし、早稲田大学は中退するのが当たり前だった。グローバルビジネス学科など、存在する余地もなかった時代だ。

 そもそも女性はクリスマスケーキ同様、価値があるのは24まで、25を過ぎたらお払い箱と言われたのだ。だから焦って結婚する女性もいた。30代で結婚するのが当たり前になる時代が来るなんて、想像もできなかった。

 話はズレたが、とにかく当時の日本人はルールも守らず、街も汚くて、おかしな人間がたくさんいた。「ちむどんどん」は私に、忘れていた半世紀前の日本を思い出させてくれたのである。

 今や若者ほど秩序が好きで、自民党支持。逸脱どころか回り道さえ嫌い、成功への道を最短距離で駆け登るのが利口な人間とされている。

 市場経済で成功することが何より重要で、無駄は悪、強者や勝ち組になることが正義だ。ヒロイン一家のような、全く生産性のない迷惑な人間たちに居場所はない。

 もしかしたら羽原は、敢えてこういう人たちを描いているのかもしれない。それとも、羽原自身が完全に時代とズレてしまったか。判断に迷うところだ。

 


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