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【文学フリマ京都7】編み物ZINE『AMU』サンプル

1/15文学フリマ京都7まで残り1週間、どきどきしつつ過ごしています。
本記事では、文フリ京都にて出品する編み物エッセイ『AMU』の「はじめに」と本文のエッセイ冒頭をサンプルとして公開します。

十数年、ローテンションに編み物を続けてきたニッターによるエッセイです。

はじめに

 芝々と申します。突発的に編んでは飽きて放置する、を12年繰り返してきたニッターで、通算年数はちょっと長いけれど、編み上げた作品は数えるほど…の万年初心者です。

 この本は編み物に関するエッセイを集めたもので、noteやはてなブログに発表した記事を書きなおしたもの2編、書きおろしたもの2編の構成です。
 核となるのは、2022年に亡くなった祖母が遺した編地を引き継いで編んだ「エーコさんと編む」。一度noteに公開していますが、今回かなり改稿しています。この記事を書いた当時はすこしハイになっており、今読み返すとわりと「美談」っぽくまとめてるなあと思います。数か月経ってちょっと落ち着いてから、出来る限り率直な感想を書き加えました。note版とこのZINE(『AMU』)を読み比べてみてもおもしろいかもしれません。

 ネットで一度公開したものを再度本の形にまとめたのは、祖母であったエーコさんが「人間は誰でも生涯で一冊は本が書けるのよ。あったことを書けばいいからね。」とよく言っていたからです。幼い頃、本の虫で将来も「作家になりたい」と言っていた私への励ましだったのかもしれませんし、あるいは若い頃バルザックが好きな文学少女だったというエーコさん自身への言葉だったのかもしれません。エーコさんの助けを借りて、「誰もが人生で一冊は書ける本」をここに残したいと思います。

 非常に蛇足ですが、エーコさんは仮名です。書く度にウンベルト・エーコと編み物してる気分になって愉快。


おおらかな棒針編みにすがるように編む

 編み物が好きだ。特に棒針編み。
 
 筆で線を引くように、自由に毛糸を編んでいくかぎ針編みとは違って、棒針編みはいちど引いた線と同じものを上へと徐々に塗り重ねて面にしていくような営みだ。編み方にもよるけれど、基本的に土台がしっかりしていれば、あとは機械的に同じ作業を積み重ねていくだけで面ができていく。もちろん手を動かしているのは自分なのだけれど、単純作業を繰り返す手を半ば客観的に、勝手に動く機械を見ているような気持ちで自分と切り離すことができる。この距離感がいいのだ。編む片手間に横目でNetflixを延々と見続けられるのも楽しい。
 多少間違っても、ほどけば一本の糸になるというのも編み物の美点だ。もちろん、編み目を1目落としてしまったところから、どんどんほどけてしっちゃかめっちゃかに絡まることも多いけれど、大概は落ち着いて目を針に戻せばなんとかなる。なんなら、数段下の段で表編みと裏編みを間違えてしまっている、というミスすらも修正可能だ。この大らかさゆえに、棒針編みは裁縫などのほかの手芸より私の肌にしっくりくる。

(以降はZINEにてお楽しみください。)

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