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【ショートショート&音楽】ミュージック

古嶋は行きつけのバーに向かった。
オーセンティックなバーというよりもカジュアルなバーである。
店名は「アダム」という。
そこはちょっとした音楽イベントも行われるバーだった。
古嶋も以前この店でライブ演奏をした事があった。
それ以来、ただ飲みに来ることもあった。
いや、マスターと話をしたいだけかもしれない。
色々と悩みを聞いてくれるからだ。
そういう意味ではメンタルクリニックなのかもしれない。
その精神科医の名前はロブさんだ。

アダムに入ると数組の客がいた。
本日はライブイベントもやっていないようだ。
それもあってか店内はまったりとしていた。
カウンター席には誰も座っていなかった。
古嶋はそのカウンター席に着いた。
BGMにはロッドステュワートの曲が流れていた。

「いらっしゃい。何にする?」
「うーん、それじゃ、グレンモーレンジィのソーダ割りで。」
このシングルモルトのハイボールに最近ハマっている。
爽快な味わいに心が踊る
そんな気がした。
それを望んでいた。
何故ならちょっと気分が下がり気味だからだ。

「はい、グレンモーレンジィのソーダ割り。」
「ありがとうございます。」
「どうかした?また元気なさそうだけど。」
「まぁ、やっぱり上手く行かなくて。」
「何、音楽活動のこと?」
「はい。」

古嶋は大学を卒業するとある会社に就職した。
音楽で食べて行きたかったがその自信がなかった。
でも好きな音楽を捨てることはできず、活動は続けた。
そして仕事休みの週末にはライブをすることもあった。
その時にお世話になったのが、この「アダム」という店だった。
その後何度がライブをやったり、普通にお客さんとしてアダムに訪れた。
何かの時にマスターと話した事がきっかけで脱サラを決めた。
それ以降音楽の道で進むことにしたのだった。

「上手く行かないって何?」
「いや、ライブやっても反応はイマイチだし、YouTubeに動画アップしても視聴回数は微妙だし、音楽の再生回数、ダウンロード数も伸びないし。このままやってていいのかなって。」
「なるほどね。まぁそんなの多くの人がぶち当たる壁だよ。楽しくはないの?サラリーマンの時の方が良かった?」
「いや、今の方が全然いい生活だと思ってます。楽しいのは楽しいし。ただ、ふと数字とか目にすると、なんか気分は沈んでしまうことはあります。他の奴はバズってるのになぁとか思いながら。」
「まぁ楽しいのなら良かった。それに壁があるくらいの人生の方がいいと思うよ。色々あるとは思うけど、結局自分が信じた道を進むしかないんだから。それはとても長い道で、それを歩いて行くしかないんだよ。」
「うん、分かってはいるんですけどね。本当にこの音楽性でいいのかなって思うことはあるんですけど、マスターはどう思います?僕の曲?」
「結構面白いと思うよ。歌詞も興味深いし、メロディも良いしね。あと、古嶋くんの声も魅力的だと思う。ただ、もっと古嶋くんの人間味が出ると更に良くなるかなって思う。まだ迷いがあるっていうか、何か偽ってるというか、そういうのを感じる瞬間がある。もっと素直な一面が出てくれば化ける気がするな。」
「あぁ、なるほど、人間味ですか。そうかもしれないです。まさにその辺りでモヤモヤしていた気がします。」
「でしょ。言葉が全てじゃないからね。いくら歌詞が良くても、その言葉以上のものが伝わらないと良い音楽として届かないんだよね。真実は言葉じゃないっていう感じ。」
「うーん、深いですね。でも、何となくわかります。」

そこでマスターは別の客が注文したお酒を作り始めた。
ウイスキーフロートだった。
それを席まで届けるとお店の外に出た。
そして店外の一部の明かりを消して戻ってきた。

「どうしたんですか?もうラストオーダー?」
「あぁ、あの明かり?いや、ライトがちょっとおかしくなってたみたいで。」
「あぁ、なるほど。じゃあもう一杯飲もうかな?」
「同じやつにする?」
「そうだな、カバランでも飲んでみようかな。」
「了解。どうする、ストレート?」
「はい、ストレートで。」
この台湾のウイスキーが最近気になっていた。

「はい、どうぞ。」
「ありがとうございます。」
そして、カバランを一口飲む。
「どう?」
「甘くて美味しいですね。」
「うん、最近人気だよ。」
「そうなんだ。」
「で、そろそろ1年経つんだっけ?会社辞めて。」
「はい、そのくらいですね。もうすっかり満員電車とも無縁です。」
「そうか。」
「あんなに多くの人達が同じ時間に移動するなんて変ですよね。なんか気味悪いというか。何でみんな9時から仕事や学校に行って、5時頃から帰宅し始めるのだろうって思います。何かに支配されているようで。僕には無理でした。」
「そうそう、そういう面だよ。そういう人間味を素直に曲に表現できれば良いんじゃないかな。」
「あぁ、なるほど、こういうことですか。」
「うん、そう。これからも逃げ出したくなることもあるだろうけど、自分を信じてやっていけばいいんじゃないかな。」
「ありがとう、ロブさん。今日もまた。」

店内のBGMは80年代のディスコの曲に変わっていた。
何という曲名かは分からない。

「無責任な周りの人は、誰かが何かを挑戦する時、それは無理だ、絶対失敗するとか言ってくるんだよね。古嶋くんも言われた事あるかもしれないけど。」
「はい、ありましたね。まさに脱サラする時に同期のやつから言われました。」
「それは無謀な挑戦だ、ハードルが高過ぎるって。確かにそれはそうなのかもしれないし、間違ってはいない。でも、その場所でしか手に入らないものがあるし、もし何もせずそのままでいたらそれこそ危険な目にあう事だってある。何が正解かなんて誰も知らないし、正解を求める必要だってないんだよ。人それぞれだし、自分にしかその道は見えてないんだからね。」
「そうですね、自分の道しかないんですよね。」
「王道とかいうけど、そんなものはないんだよ。平凡、一般的とか、そういうのも本来ないんだ。人それぞれ。結婚しなくても、安定した仕事でなくても、貯金がなくても、学歴がなくても、明らかにお金目当ての女性とのデートを繰り返しても、誰が書いたかよくわからない絵に高額を支払っても、自分が好きなら、自分が信じるならそれでいいんじゃないかって。」
「なるほど、そうですね。って、ちょっとマスター、後半おかしかった気がしますが、そんな事があったんですか?」
「えっ?な、な、なっ、何言ってるんだよ、例えばだよ、例えば。」
「本当ですか?」
「も、も、もちろん本当だよ。」
いや、何かあったな絶対。でも、これもマスターの人間味が出ているのかもしれない。

「じゃあ、マスター今日はこれで帰ります。」
「おぉ、じゃまた。来た時よりいい顔になったな。」
「はい、自分を信じて音楽を続けます。そして人間味ですね。」
「そう、素直に表現だ。」
「はい。いつかフジロックに出たら、招待します。」
「分かった。期待してるよ。」

古嶋はアダムを出る。
そして雨が降り始めた夜道を一人で歩いて、駅に向かった。

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